見出し画像

老後の正解について

老後がわからない。

言葉としては知ってる。漠然としたイメージもある。だけど実体がよくわからないんだ。

なのに、世間には老後があふれてる。

老後に備えて〇〇をとか、これは老後の楽しみに、老後どうしたらいいか不安とかいろいろ。

いつから、こんなに老後老後言うようになったんだろう。昔からなのか、正解探しが好きな日本は特になのか、いろいろ謎だ。

その時代を生きてないし文献的なエビデンスもないから想像でしかないけど、昔の人(昭和の戦前より昔?)はそんなに「老後」という言葉も概念も持ってなかった気がする。

もちろん、年齢を重ねたうえでのあれこれはあったと思う。でも、それは歳を取ったリアルタイムでのことだ。八っつあんもすっかり弱気になっちゃって、若けえ頃は違ったのにな、とかなんとかお茶を呑みながら喋るのだ。

それはともかく、これから先のことを考えての「老後」って、そんなに意識なかったんじゃないか。そもそも平均寿命も違うのでなんとも言えないのだけど。

ちなみに戦後間もない1947(昭和22)年の日本人男性の平均寿命(0歳の男子が生きられる期待値)は僅か50.06歳だった。2020(令和2)年は81.64歳。そりゃまあ、老後って言葉も必要になる。

のだけど個人的には「老後の」って聞くたびに、よくわからないなと思う。そもそも「老後」って何だ?

何歳からとか、どういうシチュエーションになったらとか、もしかしたら世界老後機構で定められてるのかもしれないけど。

なんだろう。基本的に僕は老後ってないと思ってて。

いや、老後がないってべつに老い先短い(この表現通じるのか)とか、自分のこの先を悲観してとかではない。老後という概念を持ってないと言ったほうが正しいのかもしれない。

もともと、そういう生きものだったってこともあるし、今回、まあそういう疾患を患ったから余計にそう感じるところもある。

だいたい、老後とか考えてもどうなるかわからない。

僕が言うことでもないのだけど、昨日まで何もなかったはずのものが次の日には「まじか」ってなることも珍しいことじゃない。どんなに老後を計画してたって雲散霧消するかもしれない。

それでも人は老後を考えるし、人によっては思い悩む。

それが老後の(概念の)ない僕にはすごく不思議でわからないんだ。本当に。

そりゃ、老後に限らず人は前途をいろいろ思うことはある。人によっては真剣に深刻に思い悩む。それを否定したいわけじゃない。

僕だって、自分の病がどうなるかわからない。リアルに1年先生きてるかどうかわからない(本来は誰だってそうなんだけどね)。

まあだから逆に老後とか前途を考えてもあまり意味がない。

思うことはないとは言えないよ。でも、思い悩むまではいかないんだ。

病でいえば、病状がさらに進んだりとか再発したらどうしようと思い悩んだりするのと、老後どうしようは似てる。どっちも、未来を不安がっていまを生きれてない。

本質的にはどうなるかわからない未来のために、大事な「いま」を楽しめてなかったり、自分で潰してしまってる。

じゃあ、どうしたらいいの? ってなるけど、その歳(数字の年齢ってことじゃなく)その時の自分にできることをする、楽しむというシンプルな話なんだと思う。

老後のないヤギはそんなことを思いながら、少しだけ正解のない崖に登ってみたりしている。