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2021年2月の記事一覧
書けるけど書けないのサインが出たときは
プロだからいつでもどこでもどんなときでも「書ける」は、半分正しくて半分正しくない。
たしかに書く必要があれば書くことはできる。打席に立っているのに「ボールが来たらどうしよう……」ということはない。たいていのボールは打ち返せる技術というか経験は持ってる。
そういう意味では、いつでもどこでもどんなときでも書ける。
のだけど「書けるけど書けない」こともある。狭い意味での仕事として書くではなく、もっ
聞きたくなるように話そう
懐かしい「KY」についての短い話。空気を読む読まないって、どちらかといえばネガティブな文脈で使われる。
一昔前に流行った(というのだろうか)KYっていう言葉が象徴的。
場の空気を読まずにズレた発言をしたり、あえてそこで言わなくてもいいことを言ったり。そういうのは「空気を読まない、読めない=KY」として忌み嫌われる。
一方で「空気読めとか無理じゃないのか」「そういう日本の同調圧力がいろんなもの
こんな日は牛に乗って
ファッション誌はすっかり春色。サブスクで読めるファッション誌をスマホでぱらぱら眺めてたら『春の牛通勤コーデはこれで決まり! 着回し20アイテム』という記事を見つけた。
牛も喜ぶスカーフとブラウスコーデとか、そういうの。
ふーん。牛かぁ。そういえば、ステイなんとかになって彼と別れてから、あんまり出かけなくなったし、牛もいいかなと思う。
可愛いペイントとかしてあげて牛に乗ったら、なんか楽しそうな
ときには詩に頬を叩かれて
自分があるとき 他人があり 世界がある
吉野弘さんの詩の一節。シンプルな言葉なのにさらっと深い。
日常生活をしていて、たぶんほとんどの人にとって「詩」の存在を必要とすることも感じることも少ないと思う。僕だってそうかもしれない。
それでも、たまに自分のいるレイヤーが、通常なら重ならない他のレイヤーと重なったときに「自分」の位相を確かめるために、詩のレンズを通してみたくなる。
自分はちゃんと「
声と文章のあいだぐらいのものが足りてない
文章は突然生まれない。もうずーっとずっと文章を書いて生きてるけど、やっぱりそう思う。
じゃあ、どこから文章は生まれてくるのか。
これはもう生命の起源(大げさ)みたいなところにも通じてしまいそうなのであれなのだけど、まったく筋が遠いとも言えない気がする。
どうしたって生まれてくるものは生まれてくるし、生まれてこないものは生まれてこない。
この微生物はなんで存在するのだろうと考えても果てしなく
どうでもいいことほど残る
小学校の修学旅行で広島に行った。まあ、それ自体はとくに何ということでもない。
個人的には団体旅行が似合わないので、修学旅行を楽しみにするわけでもなかったのだけど、それでも知らない町を通り過ぎたりするのは嫌いじゃなかった。
知らない町のスーパーの看板、知らない町の校庭、知らない町の小屋みたいなバス停、知らない行き先の路面電車。
変な言い方だけど知らない町の車窓というだけで萌え要素があるのだ。た
自分の文章に信号機を持つ
文章を書いていて、ついうっかり使いそうになる「言葉」がいくつかある。いつも気をつけているのだけど。
「普通(ふつう)」という言葉もその一つ。文章じゃなくても話していても、ほとんど無意識で使ってるかもしれない。
「普通はこう考えるんだけど」
「普通はしないよね」
「普通にうまいんじゃない」などなど。
だけど、よく考えたら「普通」って何なんだろう。よくわからない。
誰にとってのどんな状況での普
胃袋に収まらない文章について
その人の話していることがテキストになってたり、その人について書かれているものなら無条件に読む。そんな人が何人かいる。
仮にそのひとりがAさんだとする。
Aさんのことは勝手に天才だと思ってる。同時に自分自身をときに持て余し、そこに生成されたどうしようもない穴によく陥るし、その穴から発せられる思索の言葉に僕はよく絡め取られる。
その言葉はいちいち問いにあふれてるし、ひとつの問いが別の問いの箱を開