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世の中にはなぜ嘘の情報が多いのか。

インターネットの普及しきって現代社会は、インフォデミックとも言える情報過多の時代である。
なぜこうも情報が多く、かつ嘘が多いのであろう。

嘘による情報操作や詐欺行為など、悪意を持って流す嘘に関しては、(当たり前の事ではあるが)ほとんどの場合、お金の問題である。
お金のために嘘が平気で流布されるのは、現代に根深く染み付いた大きな問題である。

そして、『インターネット、特にSNSの普及により誰もが気軽に情報を発信できる時代であり、情報発信者に線引きがないため、「プロの情報発信者」が少なくなったことで嘘の情報が多くなった。』
というのは間違った解釈である。
なぜなら、「プロ」とはお金をもらい動く人の事であり、前記のお金のために嘘を流布する人たちの代表であるからだ。
よって、メディアの情報はかえってあてにならない。
もし、世の中のスポンサーという構造が、気概を感じるすばらしい行動に対して何も指図をせずに黙って出資するというシステムであれば問題ではないが、実際はそうではない。

情報を精査せずに拡散する素人も、お金のために情報を流すメディアも、等しく嘘を拡散しやすいのである。

そして根本的な問題として(一番の問題と思うのだが)、世の中に溢れる統計や、論文等のいわゆるエビデンスと呼ばれるものでさえ、多くの場合嘘であるということ。
真面目に研究を続けて行った結果見えたものではなく、「あらかじめ決めた答えの根拠となりうる情報づくり」のための研究や、そもそもでっち上げられた嘘の根拠というものが存在するということ。
世の中には相反する結論に至る論文が存在する。
もちろん真っ当な研究も多いが、前記の「お金のために流す嘘の情報」のためなら、根拠から作り込むのが妥当であろう。
一応、そもそもが間違った前提のもと進む間違った研究もありうる。

もちろん、論文や研究に対して検証はされているであろう。
しかしそこにもまた、スポンサーが付いている訳である。


もしお金を必要とせずに、お金を稼ぐためではなく純粋に己の欲求に従い情報を作り上げてゆくことができるのであれば、嘘ではない情報が発信される事もあるかもしれない。
そこに一番近いのが、アマチュアでかつ、多大な情報からきちんと精査した情報を、誤解なく伝えることのできる発信者である訳だ。

しかしながら、それでもなお、個人の判断がそもそも偏見に満ちているという問題がある。
情報を判断する以前に、収集する情報そのものが偏見によって偏ってしまううえに、判断もまた偏見に満ちている。

要するに世の中の情報のほとんどは、嘘にまみれた根拠から、勘違いをして判断した情報がほとんどであるということ。
言い換えれば、「偏見によって出来上がった偏った情報や、偏見を生み出す為に作為的に偏らせた情報たちから判断した歪んだ意見」を自己肯定やお金の為に拡散させる場合が多いということ。

もし真実に“近い”情報があるとするならば、
己の立場や感情について常に内省をし、判断において主観的な偏見を持たない人(達)が、お金の為にではなく、本当の意味で真実を明らかにしたいという欲求のもと、嘘や勘違いのない多方面からの情報をもとに精査した結果を、同じく偏見を持たない個人が勘違いをせずに受け取るということである。
もちろん受け取る側の立場も問題となる。

つまり、世の中にある情報は発信元がどこであれ常に嘘や勘違いが混ざる危険性を持っているということ。
そしてその情報を、肯定も否定も多角的に取り入れて、さらには己の感情による勘違いもきちんと考慮した上で、それでもなお勘違いや間違いを含んでいる可能性を覚えておきながら判断してゆくことしかできないのである。

「真実」などというものそのものが、幻想なのかもしれない。

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