ガラパゴスに行きたい
ナチュラリスト宣言
調べる。行ってみる。確かめる。また調べる。
可能性を考える。実験してみる。
失われてしまったものに思いを馳せる。
耳をすませる。目を凝らす。風に吹かれる。
そのひとつひとつが、君に世界の記述のしかたを教える。
私はたまたま虫好きが嵩じて、こうして生物学者になったけれど、
今、君が好きなことがそのまま職業に通じる必要は全くないんだ。
大切なのは、何かひとつ好きなことがあること、
そしてその好きなことがずっと好きであり続けられること。
その旅路は驚くほど豊かで、君を一瞬たりともあきさせることがない。
それは静かに君を励ましつづける。
最後の最後まで励ましつづける。
これは、私が作った、自然を愛する者への言葉。いわばナチュラリスト宣言である。カミキリムシや蝶を求めて野山をさまよい、結局、何も採れずに帰った少年時代の日々の体験がもとになっている。でも翻って考えると、この感覚は研究者になったあとも同じである。試すこと。待つこと。そして諦めること。すべてはこれの繰り返しだった。
ガラパゴスに行きたい。これはナチュラリストとしての長年の夢だった。プロの研究者も、アマチュアバードウォッチャーも、7歳の虫好きの少年も、みんなナチュラリストであるという点では同じ。そして彼らはひとしく願う。生涯、一度でいいから、絶海の果てに位置するガラパゴス諸島に行って、溶岩と巨石に覆われ、絶えず波に洗われる岸壁に生息する、独自の進化を遂げた、奇跡的な生物を実際にこの目で見てみたいと。
ずっと昔からそう願ってきた。とはいえ、私の夢はもう少し手が込んでいた。ただ、観光客としてガラパゴスを見に行くのではない。今をさること200年近くも前の秋、はるかな航海の果てに、この群島にたどり着き、ここを探検したビーグル号と同じ経路をたどって島が見たかった。ビーグル号には、かのチャールズ・ダーウィンが乗っていた。後に、進化論を打ち立てて生命史に革命をもたらした人物。
しかし、そんなことはできるはずがない。ビーグル号の正式名称は、HMS Beagle。Her(His) Majesty’s Ship、つまり女王(当時は国王)陛下の船だった。全長27.5メートル、排水量242トン、実戦が可能な大砲6門を搭載、英国精鋭の軍人70余名の船員が乗船する本格的な軍艦だった。当然装備も資材も豊富に積まれていた。だからこそ自由自在な航路をとれたのだ。
そもそもビーグル号の密かな狙いは、世界中に散在する将来の軍事拠点を確認、調査、測量することだった。彼らと同規模の船を仕立てて、同じ旅を再現することなど不可能である。
サン・クリストバル島に建つダーウィン像
当時、ダーウィンはまだ22歳。船長フィッツロイのコネで、たまたま随行を許された民間の客人だった。生物学に興味を持っていたとはいえ、あとになって『種の起源』として結実する進化論の構想は、何ひとつとして彼の心の中に準備されてはいなかった。
ひとくちに「ガラパゴス」といっても、そこは大小様々な島や岩礁が散在する群島である。名前のついている島は全部で123島、主要な島だけでも13島あるといわれており、それがおよそ関東地方くらいの広い範囲に分布している。
ガラパゴス諸島の地図とダーウィンの航路
ダーウィンの乗ったHMSビーグル号は、1835年9月15日に、ガラパゴス海域東端のサン・クリストバル(英名:チャタム)島に到着した。その後、約1ヶ月かけて、数少ない水源のある島、フロレアナ(チャールズ)島、6つの火山を擁するガラパゴス最大の島、イサベラ(アルベマール)島、イサベラ島と、今も火山活動が激しい島フェルナンディナ(ナーボロウ)島のあいだの狭い海峡をくぐり抜けて、赤道線0度を越え、サンティアゴ(ジェームズ)島などに寄港し、調査と測量を行い、同年10月20日、次の調査地であるタヒチ島に向けて太平洋を西に進んだ。
ビーグル号は、タヒチ、タスマニア、ココス、モーリシャスなど、今から見ると高級リゾートめぐりをしているかのような航路をたどって、5年にわたる世界航海を行った。これは先にも記したとおり、ビーグル号の密かな使命が、大英帝国による世界制覇の野望に関わっていたからに他ならない。
少なくとも、ガラパゴス諸島の旅に関してだけでも、チャールズ・ダーウィンと同じ航路をたどって、彼が見たであろう光景を、彼が見たはずの順番で、訪れてみたい。いったいガラパゴスの何が、彼の目を見開かせ、彼の想像力を掻き立てたのだろう。それを追体験したかった。これが私の贅沢な夢だった。
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生命海流|GALAPAGOS
ガラパゴス諸島を探検したダーウィンの航路を忠実にたどる旅をしたい、という私の生涯の夢がついに実現しました。実際に行ってみると、ガラパゴスは…
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