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なんとなく思ってることを言語化するところ ゴミ箱というよりメモになりきれないメモ帳みた…

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なんとなく思ってることを言語化するところ ゴミ箱というよりメモになりきれないメモ帳みたいに使いたいな 思考の助けになってください

最近の記事

物語の囚われへの気づきと脱却

岩宮恵子先生の著書に引用されている、河合隼雄先生の言葉で、標準物語と理想物語というものがあることを知った。 この用語の正確な意味合いはわからないが、おそらく標準物語は、今の時代における標準的な価値観という意味かと思われる。結婚をするのが当たり前(今はしない選択肢も出てきているが)。大学に入るのは当たり前とか、そういう当たり前、平均的な生活のことを標準物語と考えた。 理想物語は標準物語と一部重なるところがあり、その人のこれまでの経験や、外界との関わりの中で形成される理想的な生き

    • 自らの外界の認識について

      外界の様々な対象に対して、その対象の持つ属性に着目して像を形成している。そして、その対象そのものを認識せず、属性により形成された像を認識する傾向にある。 例えば、男性教員には、権威の像や怖さの像をもっており、男性教員そのものと対峙せずに、像と対峙する。結果、自身の振る舞いの上手くいかなさが生じる。また、既形成の集団も、馴染めなさの像や疎外の像があり、その集団に入ることを躊躇ってしまう。サブカルチャーには遊戯性や不真面目の像があり、そこに没入することは時間の無駄という意識が生じ

      • コロナを経ての心情の変化

        8月2日、コロナに罹患。とある施設にいる中での発熱であった。8月10日現在、その施設がどのような対応をしたのか未だ知らず。後日、謝罪に向かう予定である。 今回、コロナと判明した時の思いを述べる。 まず、施設に対する申し訳なさが生じた。外部の人間としてお邪魔させていただいている最中に発熱したため、おそらく当日施設を利用した方々は濃厚接触者となり、抗原検査を受けることとなったはずである。この懸念は発熱時からあった。もしもコロナだったら、が常に頭にあった。結果、現実としてそれが生じ

        • 内省

          自己肯定感低いのに向上心あるから,努力して成果あげてもいつまでも満足できない。それに加えて,これまで動機が叱責回避という外発的なところに集中しすぎて内発が少なかったからか,純粋なタイプAにもなりきれないっていうなかなかしんどめな状況でしたね。 そこに内発的な興味を向けられる対象として心理学があらわれれば,それにのめり込むのも当然,か。自分から好きになったんじゃなくて,環境によって好きにさせられたものなのかな。 心理学愛への自信なくなる。好きなのに根っこでは縋っているような,高

        物語の囚われへの気づきと脱却

          ユング心理学入門を読んで(まだ途中) 光と影について、 光の強さによって影の濃さは変わる 自分の視点から見る影と、人の視点から見る自分の影は違う 半透明の下敷きの影には色があるように、人によって影の形のみでなく、別の質の違いも考えられる とふと散歩中に思った。 統合時の苦悩と踊る

          ユング心理学入門を読んで(まだ途中) 光と影について、 光の強さによって影の濃さは変わる 自分の視点から見る影と、人の視点から見る自分の影は違う 半透明の下敷きの影には色があるように、人によって影の形のみでなく、別の質の違いも考えられる とふと散歩中に思った。 統合時の苦悩と踊る

          異常や少数派の心情を知りたいし理解したいから自分で体験したりしてる。 周りの人が各々の"あたりまえ"をもってて、それに従って善悪の判断をしてるのを見ると、そうした判断基準からの解放を目指してフラットを意識する身としては、問いと解の結びつきが羨ましい反面しょうもなく見えてしまう 。

          異常や少数派の心情を知りたいし理解したいから自分で体験したりしてる。 周りの人が各々の"あたりまえ"をもってて、それに従って善悪の判断をしてるのを見ると、そうした判断基準からの解放を目指してフラットを意識する身としては、問いと解の結びつきが羨ましい反面しょうもなく見えてしまう 。

          経験の価値と不可逆性への対処

          臨床家を目指す上では広く物事を経験することが、clの理解にとって必要な要素だと思う。物事自体を経験することもそうだけど、それを抽象化して、どう言った考えや感情を抱いたのか、とか、その考えが生じるまでの道のりとかそう言ったものが価値を持つと考える。たくさんの経験を持てば、その分clの生活歴で感じてきたであろうことや思考の流れを(あくまで"あたかも"の範疇で)理解するのに役立つ。 だからいろんな経験をするべきだししたいしする。 毎度のことながら弁証法を軸にしてるので、一つ問題が生

          経験の価値と不可逆性への対処

          思考法の選択の背景として

          今のところまだ弁証法を推している加藤です。 これまでの人生でおそらくこの思考法以上に惹かれたものはなく、というより弁証法を知ってから思考について具体的に考えるようになったくらいで、個人的には契機的な意味合いもあって友達以上恋人未満的な存在である。 散歩中になぜ弁証法がしっくり来たのかを考えてみたところ一つの仮説が立ったので、記録しておこうと思う。 ざっくりと中学生の時くらいから嫌なものや場面を乗り切るときに、防衛機制の合理化や、それよりの知性化を用いていたように記憶している。

          思考法の選択の背景として

          いまの考え方とかべ

          少し思考の方法を知れたし使えるようになってきた。今のブームはリバタリアニズムと弁証法。害を与えない限りでは自由度の高い生き方を認めるリバタリアニズム、あるテーゼ(考え方、事象など)にはそれと対照となるアンチテーゼがあり、二つのテーゼを統合した高次の概念であるジンテーゼを想定し、いかなるものでも絶対的なものはないという弁証法。この二つを認知的評価に組み込むことでおおよその出来事は精神面では対処することができるようになった。もうひとつ、心理職としては色々な経験を経ることで考え方が

          いまの考え方とかべ

          やさしさは相手を受容し続けることから自分の意見も交えるっていう立場を意識した関わりであるように感じた

          やさしさは相手を受容し続けることから自分の意見も交えるっていう立場を意識した関わりであるように感じた

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          突然しんどさが来た、夜になれば考え事をすることは知ってるからそれを含めた態度を取るけどあくまで知ってるだけ。考えることをありのままに受け止めたらそれは当然めっちゃ考え出てくるし不安も出てきた。怖い、このまま勉強をし続けて成果を上げることが正解なのか、はたまた人間関係とか若いからできる経験を積んで人間らしい充実を実感することが正解なのか。正解なんかなくて自分で選んだ選択肢を正解にすれば良いってよく思うことはあるけど、けど、正解っていうものがあってそれを知ってたらどんだけ楽なんや

          お勉

          正解のある問題はその正解に向かって知識や理解することに努めればいい一方で正解のない問題ないし曖昧な問題に関してはこれを覚えればいい、っていう形での勉強は意味が薄い。思考が必要になってくるから考える際には答えがあるものよりないものの方が繋がりとかを増やせそうな気がしました。はい。

          行動の理由

          今までちょこちょこ変な行動してて、それの理由は苦しいことをした末に得られるものを欲しているからって思ってたけどそれに加えて頭の中に浮かんだことはしたいっていう衝動性はしたいことはしたい時にしたいだけしたいっていうモットーがあることを思い出して、そのしたいことをさせてあげることは物理的なご褒美を自分に与えることができて、自尊心の向上につながる、、 もう一つある。それは自分の思考や行動に癖をつけてしまったら、そのことを意識しないうちはその中でしか考えられなくなるから衝動的に頭に浮

          他者の発言によって自らの行動が変化した場合、それははたして自分で決めたことになるのか。対比を用いて考えた。

          前提として、自分であらかじめ意見を持っていて、それが人の発言に影響を受けて決断に変化が生じるものと、情報的影響のようにどうしたら良いか分からないから参考に人の発言に影響を受けて決断するものをかんがえると、どちらも最終的な決断はしているが後者は明らかに影響を受けており、前者も影響は受けてはいるがあらかじめ自分の意見はあったため後者よりも自主性が見られる。 さて、人の発言によって受け取り側の選択肢が制限された場合、自分の行動ははたして自分が選択したのか、影響されて選択してしまった

          他者の発言によって自らの行動が変化した場合、それははたして自分で決めたことになるのか。対比を用いて考えた。

          逃避としての桃源郷

          エモいとか10年前の高校生になりたい(あの時はよかったってなるやつ)は現実と過去や理想とかとの比較により生じるもの。なんで比較するのかというと、そっちの方が嬉しい気持ちになるから。することによって楽しい気持ちや満たされている感じはするけど若干間接的なイメージやしそれと現実とを比較した時に落ち込みがでる。当然反骨の気持ちも出る人はおるしそれを活用できれば強いよね。それよりかは現実の満足度の向上にフォーカス当てる方がよっぽど合理的な気がする。これが困難であったりすると別のところで

          逃避としての桃源郷

          精神疾患を抱える人に対する関わり方をもっと広めたい。心理教育は思ってたのと若干違った。どうすればいい、世の中に精神疾患を抱えている人がいることの当たり前さを当たり前として浸透させるには。ぼんやりビジョンとしてはこれ。ただこれを最大限行える機関を知らない。どうすればいい

          精神疾患を抱える人に対する関わり方をもっと広めたい。心理教育は思ってたのと若干違った。どうすればいい、世の中に精神疾患を抱えている人がいることの当たり前さを当たり前として浸透させるには。ぼんやりビジョンとしてはこれ。ただこれを最大限行える機関を知らない。どうすればいい