物語の囚われへの気づきと脱却

岩宮恵子先生の著書に引用されている、河合隼雄先生の言葉で、標準物語と理想物語というものがあることを知った。
この用語の正確な意味合いはわからないが、おそらく標準物語は、今の時代における標準的な価値観という意味かと思われる。結婚をするのが当たり前(今はしない選択肢も出てきているが)。大学に入るのは当たり前とか、そういう当たり前、平均的な生活のことを標準物語と考えた。
理想物語は標準物語と一部重なるところがあり、その人のこれまでの経験や、外界との関わりの中で形成される理想的な生き方のことを指すと考えた。外界との関わりは不可避であるため、標準物語の要素も部分的に含まれることとなるだろう。
私自身について考えると、理想物語に沿った生き方となっているように思う。心理教育による健常な人々の自分探しに寄与しようとする考えは、自分の得られなかったものを代替的に充足しようとする手段である。また、実際に心理教育を行おうと思うと多くの人々と関わりを持つことは避けて通れない。私はさほど関心のない他者と表面的な関わりを行うことに価値を見出さない、というよりそれほどいろんな人と関わるほどの力を持っていないので、ここに理想を実現するための障害がある。ここを乗り越えるために、権威を考えていた。権威による壁の破壊である。壁は乗り越えることで強くなるのであれば、壊すことは単なるその場しのぎであろう。
真の私の物語を生きるためには、なりたい私になることよりも、私が納得できる私になる方が妥当ではないかと考える。しかしこれまで他者と比べて世間と比べ相対的に生きてきた私の中には標準物語と理想物語が深く根付いている。そのため喫緊の課題としては、私の中に眠っている、ないしまだ発芽していない私を探す旅に出る必要があるのではないだろうか。

ありのままの私とあるがままの私、あるがままの私の方がより、手を加えていない状態の私であるように思う。

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