コロナを経ての心情の変化

8月2日、コロナに罹患。とある施設にいる中での発熱であった。8月10日現在、その施設がどのような対応をしたのか未だ知らず。後日、謝罪に向かう予定である。
今回、コロナと判明した時の思いを述べる。
まず、施設に対する申し訳なさが生じた。外部の人間としてお邪魔させていただいている最中に発熱したため、おそらく当日施設を利用した方々は濃厚接触者となり、抗原検査を受けることとなったはずである。この懸念は発熱時からあった。もしもコロナだったら、が常に頭にあった。結果、現実としてそれが生じ、他者に迷惑をかけてしまったことも含め非常に落胆した。私は、私が我慢すれば事が収まるのであれば、やんや言いながらでもやる。消極的な動機であるがやる。これは背景に、他者に、それもさほど親しくなかったり迷惑をかけることに抵抗のある相手に迷惑をかけるようなことを避けたいという思いがある。そのため、当日の朝も体調は万全ではなかったものの、それには明らかにこれまでの疲労の蓄積という納得しうる理由があり、また、これまで辛い状況でも我慢で乗り越えてきたという過去があったために、さほど重要視はしていなかった。その日の私の我慢で全て丸くおさまると考えていたのである。しかし現実は異なった。その日の誤った(今となればわかることだが)体調の認識や、これまで我慢できていたからという理由で今回も同様であると認識した事が、大きな損害をもたらした。
これは失敗である。この失敗からは、私はもう我慢できるほど若くないし元気もないということ、私が我慢して丸く収めようとする際に、私は眼前の小さい問題しか見ておらず、その我慢が失敗した時に生じる大きな問題には目を向けてこなかったことを理解した。
加えて、療養中に同期が差し入れを持ってきてくれた(私は現在一人暮らしである)。このことも、私をナイーブにさせた。私はこの1年と少し、ある武器を持ってきており、その武器を周囲の人にちらつかせる事で、権威を誇示してきた。そのため、対人関係はイコールで利害関係で、おそらく無意識的に損得勘定で捉えてきた。そのため、私の弱さや1人の無力さに目を向ける事なく、私は私が必死で作り上げた虚像に縋って日々を過ごしてきた。そんななかで、発熱が生じた。これまで作り上げてきた、脆いハリボテが一瞬で崩れ去り、結局同期の人間的な行動に触れ、心の拠り所をなくして路頭を彷徨うこととなった。なぜ、もっと純粋に人と関われないのか。なぜ損得をベースに対人関係を築くのか。おそらく、心理学という唯一の武器を持っていると思う事が、私を陶酔させ、その状態を基盤として日常を過ごしたためである。今回の事態は、その代償である。ここまで考え、結局人は非力で心理学に人生を捧げたところで現実の問題に対処する力は身につかないという結論に至った。しかし、まだ24歳。今回反省すべき点はたしかにあり、私の外界との関わり方の傾向を認識することとなったが、だからといって心理学という武器を手放すという選択を行うのは、やや飛躍してはいないか。まだ挑戦の意を込めて、今まで通り心理学に傾倒していいのではないか。必要なのは、折衷である。現実で人間として生きるために必要な考えと、学問としての心理学と深く関わる姿勢を統合し、社会で適応しつつ学者となることが今求められていることであろう。そしてそれは、ひいては臨床心理学を専攻するものとして、専門家として"あたりまえ"のベースを作ることにも直接的につながると言える。
貴重な経験であった。

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