経験の価値と不可逆性への対処

臨床家を目指す上では広く物事を経験することが、clの理解にとって必要な要素だと思う。物事自体を経験することもそうだけど、それを抽象化して、どう言った考えや感情を抱いたのか、とか、その考えが生じるまでの道のりとかそう言ったものが価値を持つと考える。たくさんの経験を持てば、その分clの生活歴で感じてきたであろうことや思考の流れを(あくまで"あたかも"の範疇で)理解するのに役立つ。
だからいろんな経験をするべきだししたいしする。
毎度のことながら弁証法を軸にしてるので、一つ問題が生じる。経験することの欠点である「経験しないという経験」の存在だ。これのいい例は、お笑い芸人のかまいたちのとなりのトトロのお話がある。ツッコミの濱家が隣のトトロを見たことがないというボケの山内に対してツッコミをいれたが、山内はそれに対して、「見ていない」という状態から「見た」という状態へは変われるが、その逆は不可能であるため、価値としては貴重である、といったような返しをしていた。普通に発想が面白くて笑った。これを経験の不可逆性と呼ぶことにする。さて、ここで臨床家として経験を積むことで同じようにその経験を積まないことで得られるものを捨ててしまうことになる、という問題が生じる。これへの理想的な対処としては、同じ人間をもう1人作って真逆の生活を送らせて、その情報を共有すれば補償できる。けど残念ながらそれは無理なので、代替案として、経験していない人との交流をあげる。マイナーな経験(オールしてそのままマラソンするとか)であれば経験していない人の方が多くなるため、そうした人と関われば、経験していない人なりの考えを知ることができる。一方メジャーな経験(死別とか)の場合、むしろ経験していない人を探す方が難易度が高くなるため、ここに関してはまた考えよう。
かまいたちは面白いし弁証法の汎用性は高い。

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