逃避としての桃源郷

エモいとか10年前の高校生になりたい(あの時はよかったってなるやつ)は現実と過去や理想とかとの比較により生じるもの。なんで比較するのかというと、そっちの方が嬉しい気持ちになるから。することによって楽しい気持ちや満たされている感じはするけど若干間接的なイメージやしそれと現実とを比較した時に落ち込みがでる。当然反骨の気持ちも出る人はおるしそれを活用できれば強いよね。それよりかは現実の満足度の向上にフォーカス当てる方がよっぽど合理的な気がする。これが困難であったりすると別のところで満たそうとする。金持ちになれない人の思考で小銭使ってその時の幸福感を得ようとするのに似てる気がする。

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