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私が1級技能士を目指したわけ.ep1

またご無沙汰致しました。誰も待ってないと思いつつですが(笑)  待ってたよ!とのことでしたらスキしていただけると励みになります。気温の変化が激しくて体調を崩されている方が多いです。みなさんはいかがでしょうか。
今日はいつものストーリーをお休みして「今ここ」をお話します。

私は人生うまくいってない

私は氷河期世代の1期生です(何かのアイドルグループみたいですが笑)1つ前の先輩たちはウェルカム状態で就職が決まってたのに、急に私たちの年から動きがおかしくなりました。何が起きてるか分からないが「とりあえず、活動しろー」と先生方はいうばかり。対策も何もない従来のやり方。どんどん撃沈していきます。私は早く社会に出たく技術習得できる専門学校を選びました。それなのに専門学校卒なので、大卒者より就職がはるかに厳しいのです(この学歴社会はいまだ尾を引いてると思います)

昨今は多様性ということで、勝ち負けの定義が若干薄れてきたとも感じています。とはいっても、お一人お一人の人生にフォーカスするとまだまだ生き辛い世の中があると感じています。もしこのnotoを読んで頂いていたらお気づきかと思いますが、私も大概生き辛かったです。もし勝ち負けでいうと負け組にいると思っていました。キャリアも継ぎ接ぎだらけです。時には生まれた時代に嘆いたり、時には強みのない頭の悪い自分に腹が立ち、私の希望を支援してくれなかった親を恨んだり、そもそもスタートラインに立たせてもらえない学歴なのかと落胆したり、もうそれはそれはいろんなことに憂いてました。ようやく就職したもの新卒ではなく、補充の為、中途で入り、研修等ない、同期はいない、後輩が入ってこないのでマネジメント経験がない。一度、正社員を離れると、大した実績のない私は、なかなか正社員になれず、結果、時代の勝者の下働きを強いられる何十苦な四半世紀。何度心折れそうになったかわかりません。そして、いつも孤独な気持ちでした。

転機

37歳の頃、大好きな仕事の派遣契約を切られ、40手前で放り出されました。あぁ、またあの苦しい仕事探しが始まる…と。そしたら偶然にもそのタイミングで人材ビジネスへのお誘いを頂きました。タイムリーだったので有難いお話でしたが、私自身がそのビジネスモデルに対して、つらい思いをしてきたので、正直気乗りしませんでした。なぜなら逆の立場となって悲しい思いをする人を増やしたくなかったからです。

当時、尊敬する知人にぼそっとそのことをつぶやいたところ「求められるって素晴らしいことよ。次の仕事もあるわけではないのだから面接を受けてみては?」と促され「確かに…」と、面接を受けることにしました。

勝手な思い込み

面接に伺うと私の上司となる方は10歳年下の20代後半。40代の部長とお二人で面接に出て来られました。正直、私は受かっても受からなくても良いと思っていたので、その上司となる方に上から目線で生意気な質問をしてしまったのです(笑)このビジネスモデルにトラウマがあり、自分自身が良い思いをしていないということを前置きにして、「どんな思いで日々の仕事をされていますか?」と。
そしたら、「その人の大事な人生に立ち会える瞬間」として、その後続く言葉にとても感動したことを覚えています。「この青年と働いてみたい」と思いました。が、随分ぶっこんだ質問をしたので、こりゃ無理かもなと(笑)
そして数日後、「一緒にお仕事させてください」とご連絡を頂きました。

決意

なんとも個性派を選んで頂き、包容力の高い年下の上司に感謝しました。
そして、私がお仕事を探す方の目の前に座るならば、私のように悲しい思いを絶対させないと決意しました。そして私のように自分を負け組と思っている、人生上手くいってないと思っている方へ、何か小さな希望でも、何か一歩進める道を一緒に考えていける人になりたいと思いました。たった一人でも身を投げ打って話を聴いて欲しかったという想いを昇華させていきたいと。私が孤独に一人で悩んでいた時間はこの為だったんだと。そう感じながら人材ビジネスの世界に舵をきりました。

つづきはまたいつか。