復刊ビフォーアフター。復刊本は原本とどこが違う?奈良原一高『ヨーロッパ・静止した時間』
「復刊」と一口に言っても、その実はさまざまだ。装丁やデザインも含めて、できる限り原本(底本)を踏襲したもの、あるいは、内容は同じでも表紙には新たなデザインを用いたものなど、必ずしも底本と「全く同じ」状態であることだけが「復刊」を指すわけではない。もちろん、そこには書籍ごとに異なる事情があり、編集の際には関係者との話し合いを重ね、復刊するにあたってベストな形を模索する。だからこそ、一から編み上げる本とはまた違う手腕が求められ、仕上がった「復刊」本には編集に携わる人たちの陰なる努力が宿っている。
本記事では、2022年に復刊した、奈良原一高『ヨーロッパ・静止した時間』の底本と復刊本とを比較し、両者に見られる違いや、その“訳”を探る。底本はすでに入手困難な貴重書となっていることもあり、数ある復刊本の中でも一例として、興味深いこと間違いないだろう。「復刊」という奥深い世界の入り口として楽しんでいただきたい。
復刊が実現するまで
写真家・奈良原一高の写真集の復刊は、復刊ドットコムにとって『ヨーロッパ・静止した時間』が3冊目となる。同書について深掘りしていく前に、まずはその復刊の経緯を簡単に振り返ってみよう。復刊ドットコムが初めて復刊した奈良原氏の写真集は、『HUMAN LAND 人間の土地』(2017年)である。奈良原氏の甥で、奈良原一高アーカイブズ(※)代表・新美虎夫氏のご子息と、当時、代官山 蔦屋書店の写真コンシェルジュが旧知の仲であり、そこから偶然にも復刊ドットコムと縁がつながったことをきっかけとして復刊が実現した。(※奈良原一高アーカイブズ:奈良原一高の甥にあたる新美虎夫氏が代表を務め、奈良原一高の妻である恵子氏とともに、作品を適切に保管し、より広く世に伝えるために活動している。)
復刊1冊目となる『HUMAN LAND 人間の土地』では、出版当初の体裁をそのまま生かした。デザインも底本と同じデザイナーが担当し、まさに文字通りの復刊である。一方で、次の『王国 Domains』(2019年)では、奈良原一高アーカイブズ協力のもと、独自のディレクションを取り入れ、未発表の作品を含めた増補新装版として復刊することとなる。すでに他社から複数出版されていたものもあったが、印刷や用紙などに一層こだわって完成させたのが復刊ドットコムの『王国 Domains』であり、『ヨーロッパ・静止した時間』は、そうした中で築かれた信頼関係あっての3冊目なのである。
さて、『ヨーロッパ・静止した時間』の底本・復刊本に見られる“違い”は、奈良原氏が生前に抱いていた思いをできる限り反映するためのものであることを、読者のみなさんにはまずお伝えしておきたい。奈良原一高アーカイブズの新美氏、恵子氏をはじめ、関係性の深い知人に漏らしていた「できればこうしたかったな」という思いを、どこまで実現することができるか。単なる“違い”ではなく、新たに出版する上での、必要な“変化”として捉えていただきたいと思う。
比較(1)造本とデザイン
『ヨーロッパ・静止した時間』の底本と復刊本を比較するとき、まず注目されるのは本そのものの造り、そして表紙や誌面のデザインである。
底本のデザインを担当したのは、日本を代表するグラフィックデザイナーの一人、杉浦康平氏だ。出版当時は二人とも若手。制作時、奈良原氏と杉浦氏は泊まりがけで、相当の熱量を持ってこの1冊を作り上げたという。そんな話を聞くと、復刊時にはデザインを踏襲する意向はなかったのだろうかと疑問に思えるが、編集者によれば、特に造本の観点から採算を取るのが難しいという現実的な問題があったのだそうだ。具体的には、底本の表紙は布張り、収納可能な函も付く、豪華な造りになっている。これは当時としても採算を度外視した造りであり、出版された当時の価格は3,800円と高額であった。当時大卒の初任給が2〜3万円程度という時代であるから、破格とも言える値段である。
底本の優れた点は、見開きページの見やすさにある。180度しっかりと開くことができるため、2ページにわたって写真を大きく掲載しても作品を損なうことなく見ることができる。ただし、本の背表紙の糊が経年劣化によって剥がれてしまうと、各ページはバラバラになってしまうというという難点もあり、発売からすでに半世紀以上が経過している底本の状態は芳しくない。そういった理由もあり、1冊の本としての完成度が高いものになるよう、復刊本の製本では「PUR上製」を用いることになったそうだ。
復刊本のデザインは、『王国 Domains』に続き、グラフィックデザイナーの佐野裕哉氏が担当した。編集者によれば、デザイン面で意識したのは次のようなことだ。ひとつは、同書を手に取る人に時代を感じさせないデザインであること、もうひとつは、奈良原氏の作品群を大切に扱う、いわばリスペクトを兼ね備えたデザインであることだ。佐野氏はそれを叶えるデザイナーであったのだという。やりがいとプレッシャーの狭間での作業だったそうだが、意識的にリニューアルしたことが分かるような内容とすることで、復刊本では現代の感覚に合ったスタイリッシュで美しいデザインとなっている。
比較(2)ページ構成
復刊本の編集には奈良原氏の意向を反映させる工夫が随所に見られる。ページ構成では、底本と復刊本とで大小の違いが見られるが、各写真作品を誌面上でいかに適切に見せるかということが、その変更の主な理由だ。以下に、いくつかの違いを項目ごとに見ていくことにする。
(1)観音開きのページを多用
底本では1箇所のみだった観音開きのページは、復刊本では6箇所に増えた。復刊本の観音開きのページには、底本では見開きページに収められていた写真が主に掲載されている。見開きから観音開きのページに移動された理由は、製本方法の違いによるものだ。底本では、2ページにわたる写真を切れ目なく鑑賞することができたが、復刊本の製本方法では、どうしても視覚的な分断が生じてしまう。そのため、奈良原氏が大きく見せようとした写真をそのままのサイズで見せるための手段として、観音開きのページが採用されている。
(2)写真の掲載サイズの変更
見開きで大きく掲載していた写真のなかでも、誌面の都合で観音開きのページに掲載できなかったものは、あえてサイズダウンし、1ページに収めている。1枚の写真を切れ目なく鑑賞できることを優先したということである。
(3)余白を設けた印刷
底本では画面いっぱいに印刷されていた写真でも、復刊本では余白を設けて印刷されているものが多い。画面いっぱいに印刷するには、場合によってオリジナルの写真をトリミングする必要がある。底本は奈良原氏自身がデザイナーと一緒に作り上げたものゆえに許容されたかもしれないが、復刊本ではオリジナルの写真を全形で掲載することを優先している。
(4)カラーからモノクロへ
復刊本189ページに掲載されているモノクロ写真は、底本ではカラー写真であった。オリジナルは白黒の写真であったとの理由で、復刊本では白黒の状態で写真が掲載された。
ちなみに、『ヨーロッパ・静止した時間』に収録された作品が撮影された当時の写真の色彩表現については、奈良原氏自身のエッセイ「ヨーロッパ四万七千キロ」(『アサヒカメラ』1965年1月号)で言及されている。技術面において、白黒とカラーは今日ほど気軽に切り替えらものではなく、したがって表現においても全く別の注意を払う必要があったようだ。
(5)写真の掲載順
写真の掲載順は、基本的には底本に倣っているが、いくつかの写真では順序が入れ替わっている。先に述べた、観音開きの多用や、掲載サイズの変更により、必然的に掲載順序には変更が必要となったためである。関係者による話し合いを経て、各章内での多少の入れ替わりは問題ないという判断となったそうだ。
比較(3)印刷
写真集や作品集を制作する上で特に重要とされるのが、色の出方である。オリジナルの作品が持つ色味の再現性によって、その作品の印象を左右してしまうほどの影響力があると言ってもよいだろう。本章では、『ヨーロッパ・静止した時間』の底本と復刊本の印刷について見ていきたい。
前提として、底本が出版された60年代当時と今とでは、印刷技術や用紙、製本技術が異なっている。したがって、成果物として出来上がるものにも当然違いが生じるなかで、いかに底本の質感と遜色ないように仕上げるかが重要なポイントだったようだ。
「底本と遜色なく」ということからも分かるように、復刊本の印刷では、底本の発色に近づけるように調整したそうだ。つまり、印刷においては底本と復刊本の違いは限りなく小さい、ということになる。
しかし、ここで疑問となるのは、なぜオリジナルの写真ではなく、底本の印刷を目標としたのかということだ。編集者の言葉を借りれば、「そもそも写真のプリントと印刷物は全く同じにはならないが、底本の印刷は少なくともその時点では作家である奈良原氏が了解したものであるから」というのがその答えだ。現在、底本を持っている人は限られているため、復刊本は奈良原氏本人の感覚をそのまま伝えるという役割も担っているのである。
とはいえ、やはり半世紀近く前に出版された底本を復刊させるには、技術的な問題が伴う。印刷するには印刷データそのものを用意しなければならないが、特にカラー写真についてはプリントが残っておらず、ポジフィルムからでは色の再現が難しいという問題があった。奈良原一高アーカイブズの新美氏によれば、奈良原氏のアシスタントを務めていたカメラマンがPhotoshopなどを駆使して綺麗にデータ化したことが、今回カラー写真も含めての復刊につながったのだそうだ。
余談だが、新美氏自身も写真家であり、幼い頃から奈良原氏の撮影について行ったり、新美氏が写真学校の学生であった時代には一緒に暗室へ入って写真をプリントしたりと、奈良原氏の写真表現を体で覚えている数少ない人物である。ゆえに、今回の復刊本の編集に際してもその“目”がいたるところに光り、関係者との間で多くの意見が交わされたそうだ。
このような経緯を経て、印刷工程では、現場の担当者や、印刷工場の色味の責任者であるプリンティングディレクター立ち会いのもと、色味の調整を進めていった。すでに述べたように、底本と復刊本の色味はできる限り近しいものになるように努められたが、やはり並べて比較すると全く同じとはいかない。しかし、それは意図的ではなく、制作された時代によって生じた違いでもあるのだ。
新旧2冊の『ヨーロッパ・静止した時間』
ここまで『ヨーロッパ・静止した時間』の底本と復刊本について比較考察してきたが、初めにも述べたように、底本と全く同じであることだけが復刊ではない。同書について言えば、収められている写真こそ同じだが、底本は奈良原氏本人が編んだ写真集である一方、復刊本は一人の写真家の作品と生涯を、第三者が回顧するような体裁であるとも言える。例えば、復刊本の巻末には、東京国立近代美術館の主任研究員である増田玲氏による解説が添えられており、その内容は底本について語られたものである。このことはまさに、新旧2冊の『ヨーロッパ・静止した時間』が、別個の存在であることを示していると言えないだろうか。
最後に、『ヨーロッパ・静止した時間』の著作権者である、奈良原一高アーカイブズの新美氏、奈良原恵子氏に、同書の復刊について率直な感想を尋ねた。
新美 虎夫氏「こうして縁あって今も新しく写真集が出せているというのは、奈良原一高は幸せな写真家だと思いますよ。」
奈良原恵子氏「(新旧2冊を)比較することはできないですよね。もとは奈良原一高本人がデザイナーと作り上げたもので、復刊した方は本人は不在ですから。でも、こうして今の人に写真を見てもらえるから嬉しいですよ。」
底本となったオリジナルの写真集は、いくら望んだとしても今や手に入れることは難しい代物だ。だからこそ、55年を経て、再び世に送り出された復刊本は、まずそこに存在することに大きな意味を持っているのである。
【復刊ドットコム刊 奈良原一高作品集 】
■この記事を書いた人
Akari Miyama
元復刊ドットコム社員で、現在はフリーランスとして、社会の〈奥行き〉を〈奥ゆかしく〉伝えることをミッションとし、執筆・企画の両面から活動しています。いつか自分の言葉を本に乗せ、誰かの一生に寄り添う本を次の世代に送り出すことが夢。
https://okuyuki.info/
Instagram:@okuyuki_info
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