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日本酒を事業領域として選んだわけ

はじめましての方、はじめまして!

昨年8月にライスワインという日本酒の製造・販売を行うベンチャーを創業した酒井といいます。

この度、「HINEMOS」という日本酒のオリジナルブランドをリリースしました!その宣伝・・・ではなく、それにあたって、普段、お会いする方々に最も聞かれていた「なんで日本酒なの?」という質問に、しっかりとお答えしたいと思い、書いています。

この領域で起業を決断するまで、振り返ると4年ほどかかっています。
これまでは、4年を凝縮して簡潔に説明できる自信がまったくなく、適当に答えていました。

ですが、いよいよプロダクトのリリースにあたって、しっかりとここで言語化したいと思います。

日本酒領域を選んだ理由は、感動する一杯に出会った・・といった立派な動機ではありません。そもそもあまりお酒が飲めません。

完全にビジネス視点です

自分の「適性」「強み」を見つめて、もっとも「自分の能力」日本酒の「事業領域」がマッチする、という確信をもって起業しました。

そこに至るまでの経緯を書いていきます。

新卒でリクルートという会社に入りました。最初の2年間はSUUMOという不動産メディアの営業でした。その後、ネット広告の新規事業に異動し、営業と企画を4年、また、兼務でリクルート全社の営業講師をしていました。

最後に、M&A先のQuipperというイギリスに本社をおく教育ベンチャーに出向して、東南アジアのフィリピンに2年駐在、プロジェクトマネジャーとして事業立ち上げを行い、息子が生まれたのを機に卒業しました。そして、1年育休を取った後に起業しました。

キャリアをしっかり考え始めたのは、入社6年目のネット広告の事業部のときです。その事業を畳むことになり、それがきっかけで自分の「この先」を考え始めました。

その時から今まで、突き詰めて考えていたのが、次の4つでした。

「弱み」「強み」「やりたいこと」「願望」

それぞれ説明していきます。

①弱み

ネット広告の事業部では、夜な夜な資料を作り、電通やサイバーエージェントといった競合とコンペして、勝ったり、負けたりしていました。

リクルートはSUUMOやゼクシィといったメディアを持っているので、そこにリーチしてきた人のニーズに合う商品の広告を出せば、他の広告代理店より効果がよさそうだよね、といった競争優位で、最後、売上50億、確か営利で3億くらいの事業でした。

ですが、そこから先の勝ち筋や社会的意義がなかなか見いだせず、組織は空中分解していきました。最後は、事業解散に手を挙げて(多数決でした)、次に行く決断をしました。

この業界では技術で優位性を築くために、最先端の技術を知る必要があり、ザ・アドテクノロジーというアドテク(広告技術)の本を読んでいました。事業の先を考えるために、読まねば、と思ってページをめくっていたのですが、まったく興味が湧きませんでした。(この本が云々と言っているわけでは決してありません)

広告運用のとき、管理画面で、このキーワードにいくらかけるとか、効果を見ながら予算配分を行うのですが、ここの設計や運用が成否を分けます。ですが、自分で運用していても、楽しみを覚えられない。

一方で、そういう設計や運用が好きな同僚は何時間でも、画面にかじりついて、細かく運用します。エンジニアと一緒に技術連携や機能追加も、どんどんやっていきます。

他にも、海外事業のとき、SQL(プログラミング言語のひとつ)をいじったりしたときもあったのですが、どうにも苦手意識がありました。机に向かえないのです。

こうしたときの経験や感情を鑑みると、どうやら自分はシステムを設計するエンジニアリングやコードを書くといったプログラミング、テクノロジーの深層部分を理解することに、そもそもの「適性」があまりない、と自分で客観視していました。

得意な人にお願いすればいいじゃん、とも思いますが、技術の特性を理解していない人からの指示ほど、面倒なものはない、と逆の立場だと思うのです。

ですので、最後にネット広告の事業解散に手を挙げたのも、そういったテクノロジーを扱う「事業領域」と自分の「適性」が合わないと判断したのが大きかったです。広告技術やWebサービスを扱う上で、「なんとなく気が向かない」という感情は、決定的にまずい、と考えていました。

「テクノロジーへの適性の欠如」という弱み

②強み

「適性」がなかったのにもかかわらず、ネット広告の事業では、営業として割と成果は出せていました。「適性」がないのに、なぜ成果を出せたのか、「営業」を深く掘り下げてみることにしました。

営業の一連の活動を分解すると、色んなフェーズがあるのですが、突き詰めると、1対1の商談が全てです。大型商談になるほど、その時間で、何を聞いて、何を語るか、で受注が決まります。

昨今のインサイドセールスなど、分業の概念も、1対1の商談を最大化させよう、という意味合いが大きな割合を占めると思っています。

営業では、意外に話上手な人でなく、何かよく分からないけど、受注してくる人がいます。そういう人は、言語コミュニケーションより、非言語コミュニケーションの、表情、行間、言葉尻、間合い、沈黙の意味、そういった部分を読み取る能力と、それに対して言葉をチョイスする力が長けているとみています。

その非言語コミュニケーションの存在こそが、人によって、同じプロダクトやサービスを、同じクライアントに説明しても、受注できる、できない、が分かれる大きな要因です。一言でいうと「洞察力」という言葉になると思います。

「何をしゃべったか」でなく、「誰がしゃべったか」で、受注が変わる、非論理的な世界が営業には存在します。できる営業は、この非言語コミュニケーションを意識的、または無意識的に使っています。

何百回と同行、ロープレを繰り返してきて、他の営業を観察したときに最も差異を感じる部分です。この非言語コミュニケーション(洞察力)が自分の強みだと捉えていました。

受注のみならず、本質的なインサイトが引き出せると、それを元にプロダクトへ反映し、またそれが売れるという好循環を作れていました。こういう事業開発型が、営業としては最強であり、その源泉は非言語コミュニケーションにあると思っていました。

ただ、果たして、そのスキルはグローバルの市場において、バリューはあるのか、ポータビリティはあるのか、答えは当然、ない、となります。非言語どころか、言語コミュニケーションで躓きます。なぜならそれまで旅行以外で海外に出ることがなかったからです。

日本の人口減少で、コミュニケーションの対象が減るのは明らかなので、「洞察力」が自分の持つスキルセットで一番高い(と自分で思っている)のに、「日本」で、「日本人」と「日本語」で「日本を対象にビジネス」を行うだけで、先はあるのかと、5年前、強烈な危機感を覚えました。

ですので、「海外」で「海外の人」に「他言語」で、「海外を対象にビジネス」をするために、いったん「テクノロジーへの適性の欠如」という弱みを置いて、海外勤務を希望し、フィリピンに駐在させてもらいました。教育をネットを使って効率化するEdtech(エドテック)と呼ばれる分野です。
他にビジネスを展開する、インドネシア、メキシコ、タイ、ベトナム、そして上司がいるロンドンや日本と常にオンラインで連携を取りながら、ビジネスを推進するエキサイティングな環境でした。

それなりの時間が経つと言語が変わっても、自分の言いたいことは言えて、相手が言いたいことは理解できるようになります。

しかし、非言語コミュニケーション部分が、なかなか読み取れませんでした。何か思い悩んでると読み取っていたら、次に出てくる言葉が賄賂の話だったりして、「言語」と「非言語」を読み取ると同時に、「文化」も読み取らなくてはならない。かつ、肝心なところが英語でなく、タガログ語(現地語)になったりします。特に地方に行けば行くほどです。他国でも、インドネシアも現地の営業はバハサ語ですし、メキシコはスペイン語、タイとベトナムも違います。

つまり、日本人が営業活動の対面で言語・非言語コミュニケーションというスキルセットで、バリューを出せることはなく、ローカルメンバー(現地の人)に任せた方がよいのです。

正直、「まずいな」と思いました。今まで日本で培ってきた言語・非言語コミュニケーションによって成果を出してきたのに、海外の営業の現場ではバリューが出せない。代わりにマネジメントや戦略設計・運用といったオペレーションにフォーカスするのですが、そういったスキルは並、くらいに捉えていたからです。

非言語コミュニケーションから、プロダクトへの事業開発こそが最大の強みだと捉えていたのに、それが活かせなくなりました。

強み、そして課題は「海外では言語・非言語コミュニケーション能力(洞察力)はアドバンテージを生まないこと」

③「やりたいこと」

話が変わりますが、生まれは宮崎県小林市という田舎町です。両親は高校卒業後、すぐに働き始め、宮崎県を出たことがほとんどありません。その反動からか母親から「あなたは広い世界を見なさい」と言われて、ずっと育ってきました。田舎から首都圏へ、日本から海外へ、となるのは割と自然でした。海外を駆け巡る仕事がしたい、と田舎の教室でいつも思っていました。なので、自分のバックボーンから、「海外」という方向性はこれからを考える上で外せませんでした。

やりたいことは「海外を駆け巡ること」

④「願望」

強い起業家を観察すると、やはり根っこの部分に強い原体験がある、と観察していました。不平等を感じた子供時代から、誰もが可能性を発揮できる世界を作る、といったビジョンであったり、サービスやプロダクトに強い想いを持っていたりします。そうした原体験があると人は折れないでしょう。

一方、自分を振り返ると、そこまでの想いを込められる原体験はありません。何回考えても、強く想うのは「息子のことくらい」です。

息子は海外で育つ可能性があります。我々夫婦が望んでいるので。ただ、両親が日本人ということで、この子は必ず日本にアイデンティティを持つとみています。いつか必ず日本に関わる、と考えたときに、心から思うことは、そのとき「衰退した日本であってほしくない」ということです。自分の両親もいますし、愛国心があります。やっぱり何かやるなら、日本のためにやりたいと思いました。

唯一の願望は「日本のために」

4つを掛け合わせた結論の前に、1冊の本の話をします。

バイブルのひとつに、オリンピックメダリストの為末大さんの「諦める力」という本があります。オリンピック金メダルを取るという「ゴール」のために、花形だった100メートル走から、当時マイナーだった400メートルハードルに転向し、メダルを獲得するまでの軌跡を描いた本です。

中学校まで無敵の100メートル選手だった為末さんは高校に入り、ライバルの体格の発達と、米国の合宿中に感じた筋肉隆々な他の国籍の人を見たときに、自分の100メートル走への「適性」に圧倒的な差を感じたといいます。ただ周囲の、花形である100メートル走への期待は凄まじく、転向への決断が並大抵ではなかったことが印象的に書かれています。

すごく共感しました。自分もどうせビジネスをやるなら、トップに立ちたい、世界一になりたい、という青臭い思いがあります。「勝ち負けなんて」という達観した考えもありますが、それは性格の性(さが)なので、しょうがないと思っています。

グローバルで上を目指すには、「テクノロジー領域」で、「コミュニケーションに依存した戦い方」では絶対に「自分は」勝てないと判断しました。

じゃあどうするか

①「テクノロジーへの適性の欠如」に対して

第三次産業(情報産業)から退くことです。くわしくいうと、「技術」が「競合優位性になる産業」からは身を引くということです。

そもそも多少のテックへの「適性」があったとしても、米中のテックエリートや月灯りの下で勉強してきた開発国のハングリーな人達に、グローバルの市場で自分はまったく勝てる気がしませんでした。

②「言語・非言語コミュニケーションは海外ではアドバンテージを生まない」に対して

日本の中ではコミュニケーション能力の強みを活かしつつ、海外ではコミュニケーション能力(洞察力)が優劣を生まない、という領域にいくことです。

③と④「海外を駆け巡り」かつ「日本のため」になる、に対して

「日本の」サービスやモノを海外に持っていって売ることです。

真っ先に「日本の伝統産業」のアウトバウンドが思い浮かびました。

歴史を持つ日本の伝統産業に、第三次産業はありません。古くから伝わる技術と製法だから、伝統です。つまり、「テクノロジーへの適性の欠如」が本質的な弱みにはなりません。

また、伝統産業はすべて「モノ」です。Webサービスは、言語を翻訳すれば、コピーが可能になりますが、モノは言語を変えてもコピーできません。つまり日本の伝統産業は外資と競合しません。

さらに、海外にアウトバウンドするときは、言語・非言語コミュニケーションの能力の低さを補い、「モノ」がしゃべってくれます。手にとってもらい、飲んでもらえばよいからです。

よって、「日本においてはコミュニケーション能力の強みがそのまま活きて、海外ではコミュニケーション能力が優劣を生まない」が成り立ちます。

最後に、海外に日本の「モノ」をアウトバウンドすることは、日本の経済発展にダイレクトに寄与します。

ここまできてから、日本の伝統産業について、調べ始めました。西陣織り、お茶、寄木細工などたくさんあります。

そんなとき、ちょうど育休から1年が経つ頃、Newspicksで、「異業種から日本酒に」という、記事が流れてきました。すぐにイベントに参加して、業界の構造を聞いて、これから求められるニーズに対して、自分のネット広告の経験や営業のスキル、海外の事業経験がドンピシャにマッチすることを確認しました。

そして、すぐに自分が住む神奈川県内の酒蔵を検索すると、妻の実家近くに流れる酒匂川(さかわがわ)は、日本酒に適しており、家から5分近辺に、酒蔵が集結していました。

そうした縁を感じて、日本酒領域で行くことを決断しました。そこからすぐに酒蔵を訪問して今に至ります。

日本酒業界に入って半年。やはり自分のネット広告の経験や営業のスキル、そして海外事業での経験は、奇行種になれると感じています。

キャリアを考えるとき、それなりの社会人経験を踏めば、「振れ幅の大きい決断」がどんどん難しくなってきます。既に高給を得ていたり、ポジションが高かったり、家族がいたり、さまざまですが、今までの延長線上で、考えることが普通だと思います。

その一方、「振れ幅の大きい決断」ほど、その人が持つスキルセットが、移った先で光り輝く可能性が高くなるとも思いました。

結論

「日本酒を事業領域として選んだわけ」は一言でまとめると、

「世界で勝つための武器を作りに来た」

と表現するとしっくりきます。

なので、今後は、「世界で勝つための武器を作りに来た」からです。と答えようと思います。

なんだか書き進めていくうちに、キャリア論っぽい話になりました。100人中99人には刺さらなくても、たった1人にぶっ刺さればいい、と思って最後まで書き上げました。

近い将来、一緒の船に乗ってくれるかもしれない、たった一人のあなた!連絡ください。

あ、最後に「HINEMOS」という日本酒のクラウドファンディング(先行予約販売)を行っています。良かったら覗いてみてください!

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