幸福とは。スイートポテトの事象による見解。
幸福。
こうふく。ko‐fuku. コウフク。
なんかコロコロした響きでかわいいし、本当に「幸せ」を音で表してる感じがする笑。
ところで、「幸せ」とは何かということである。
簡単に「幸せ」などと言ったけど、幸せとか幸福ってなんなん?
「なんなん」と言うたびに、藤井風さんの「何なんw」が脳内再生してしまう笑。
なのでここからの文章は、脳内再生してる曲を楽しみながら書くことになりそうだ笑。
幸福って何ですか?
なぜ今日このようなことを思ったかというと、
ある素朴なスイーツを食べたことがきっかけ。
けっこう気に入ってるお店のおやつが食べたくなったので買いに行った。
とっても美味しくて、「幸せ」と感じた。
素朴なスイートポテト。
サツマイモ、お砂糖、バター。手作り感あふれる容姿。
その交じりっ気のない全てが私に幸福をもたらした。
お金があること、贅沢ができること、旅行に行けること、何かを所有できること。。。
「幸せ」というと何となく物質的であり財力的な側面が関与しがちな気がする。
でも、そんな派手さや着飾りが本当に幸福なのだろうか。
鹿の子は今日、温かい優しさでできたたった1つの素朴なスイートポテトで大きな幸福を感じた。
最近は、インスタ映えなどのような「派手さ」がどんどん求められているように感じる。
カフェをインスタで探しても、
すごく凝った盛り付けやパフォーマンス、
店内装飾が目を引く。
確かにそれはそれで触れたことのない世界だから行ってみたいとは思うし、食べてみたいとも思う。
確かにすごくかわいかったりキラキラしてたりゴージャスな見た目だと、
刺激的だし高揚感も覚えるし「幸せ」を感じるのかもしれない。
でもなんというか、外を着飾っているものに対して鹿の子は奥行きを感じない。
派手で一瞬キラキラしてるけど、永続的ではなく儚く消えてしまうというか。。。
空っぽな感じ。真の染みわたるような満たされ感は得られない感じ。
表面的な幸福って感じ。
そして刺激の後には次の刺激を求めていく。
そしてまた次の、これより上のものを・・・
というように、外面だけのものはまやかしなのではないかと感じる。
複雑な装飾やパフォーマンス、味つけをされたスイートポテトがあったとしたら、きっと今日鹿の子が食べたものより人が飛びつくかもしれない。
目立つし真新しいし刺激的だから。
でも「味」という本質よりも「見た目」という虚像に惑わされていると感じる。
ありすぎて、もともとあった「幸福」を見失っていると感じる。
これは自戒を込めても言いたいこと。
「ある」ことが当たり前になっている。
何が幸福か、付け足しでしか幸福を感じられなくなってきているように感じている。
付け足しではなく引き算、そして盛りすぎたものをとっぱらって出てきたそのままのものがきっと幸福の髄ではないかということを、
スイートポテトを食べながら考えていたことである。
いや、頭使い過ぎか笑。
もっとスイートポテトに集中しなよ鹿の子!
スイートポテトで世界広がりすぎましたね笑。
最後まで読んでくださりありがとうございます♪
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