藤沢うるう

歴史的建造物の認知・保護・活用について考える人です。 日本の近代史(特に法制・建築・土木・産業・人口)と東アジアに遺る近代建築を中心に調べています。 近代建築については #てくてく近代建築 でご紹介しておりますので、よかったらご覧ください。

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  • 【㊗️近代重文400件】近代の重要文化財まとめ

    重要文化財に指定されている近代建築を紹介していきます。

  • 明治工業史 建築篇

最近の記事

わくわく建築vol.2を終えて

こんばんは、藤沢うるうです。 noteに最近投稿してないな、と思いながらいつもTwitterにつぶやいてしまうので、たまにはnoteに書こう!と踏ん張って書いています。 感情の最高瞬間風速をつぶやくTwitterと違って、(ある程度)冷静な状態で書くとどうしても堅苦しい文章になってしまうのはご愛嬌、ということで読んでいただければと思います。全然堅い話ではないです! 先日4/15(土)に「わくわく建築」と称して、大阪でイベントを実施したときのレポートです。 わくわく建築につ

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      わたしの好きな土木(西日本編)

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        わたしの好きな土木(東日本編)

        • 紙の本になるということ

           藤沢うるうです。  12/2に味なたてもの探訪シリーズ第3弾『復興建築 モダン東京をたどる建物と暮らし』(栢木まどか監修)がトゥーヴァージンズさんから発刊されました。  今回、本書の執筆のお手伝いをさせていただきました。  私は第二部のインタビューのキャプションの一部や、第三部の建築マップの現存する建物の紹介文を担当しています。  本書の紹介はこちらに詳しく載っているのでご参照ください。  一介のTwitter廃人がなんで執筆するようになったのかとか、やってみての感想と

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        • 【㊗️近代重文400件】近代の重要文化財まとめ
          7本
        • 明治工業史 建築篇
          12本

        記事

          都道府県指定文化財一覧へのリンク集

          国指定ではなく、都道府県指定の文化財一覧のリンク集です。備忘のため。

          都道府県指定文化財一覧へのリンク集

          2019年を振り返って

          ご無沙汰しております。 本年中はお会いした方もお会いしなかった方も大変お世話になりました。 私はただいま論文提出の締め切りまで10日を切り、最後の追い込みしているところです。 執筆の逃避ということで、ここで年末のご挨拶をば。 2019年を振り返ると、Twitterでの知り合いとリアルでお会いした方が多かった1年でした。大きなトピック3つだけ振り返り。 1つ目はてくてく東京。 今までオフ会なんて参加すらしたこともない身で、「みんなで良い建築みながら"ほぉ~"って言いたいよね

          2019年を振り返って

          第四節 工部省関係の諸建築(P108-136)

          第一 便宜上一時他官庁にて実行せし建築 従来建築工事は大蔵省土木寮の管掌なりしが、明治7年1月より工部省の管轄に帰し、その省内製作寮建築局において取扱いたり。後営繕寮新設されて総ての工事はその管掌に帰せり。後更に官制の改正ありて営繕局となり、最後に営繕課となり、時代に応じて事務もまた大に浮沈ありたり。  明治7年頃、工部省において営繕事業は草創の際なりし故に、当時の大工事なりし内務大蔵両省の建築は工部省において着手せずして、右両省において自身実行するに至れり。 (一)筋違

          第四節 工部省関係の諸建築(P108-136)

          第三節 宮殿建築構造の概要(P97-108)

          工学会(1927)『明治工業史 建築篇』 第一編 建築沿革一般 第二章 工部省時代の建築及び関係事件 第一 奥向宮殿 奥向宮殿は純和式の木造建築なり。竣工当時においては何れも畳式にして大理石前飾付の暖炉ありき。  御造営当時の名称を竣工後改称せしものあり。次に掲ぐ   改称名/御造営当時の名称   奥御座所/常御殿   皇后宮御座所/皇后宮御殿  次に賢所には三殿あり、何れも南面して建てられ、その東方なるを神殿、中央なるを賢所、西方なるを皇霊殿と称す。総て荘厳神霊を極め

          第三節 宮殿建築構造の概要(P97-108)

          第二節 皇居御造営事務局(P92-97)

          工学会(1927)『明治工業史 建築篇』 第一編 建築沿革一般 第二章 工部省時代の建築及び関係事件 第一 同局の成立及び局員組織 明治15年5月27日皇居造営事務局を置かれたり、後幾何も無くして皇居御造営事務局と改称されたり。最初は規模頗る大にして質に堂々たる状態なりき。統ぶるに総裁及び副総裁を以てしその下に局長を置きて専ら局務に当らしめ、尚お監事2名を置きて局長を輔けしめ、一は表向、一は奥向を分担せり。随って建築課長及び庶務課長も最初は二名ありたり。而してその他局員もま

          第二節 皇居御造営事務局(P92-97)

          近代の名勝

          国指定の名勝は400件余りありますが、そのうち近代関係のものを49件リストアップしました。2012年の近代の庭園・公園等に関する調査研究報告書 を参考に近年指定されたものを追加しています。 北海道旧岩船氏庭園(香雪園)/北海道函館市 2001年8月名勝指定。1898年に呉服商岩船峯次郎が造園を行った。1920年から1923年にかけて京都から庭師辻地月を招いて再整備された。敷地内には明治期に建てられた園亭が残る。 東北瑞楽園/青森県弘前市 1979年5月名勝指定。豪農對

          近代の名勝

          第一節 工部省関係の建築事項(P77-92)

          工学会(1927)『明治工業史 建築篇』 第一編 建築沿革一般 第二章 工部省時代の建築及び関係事件 第一 営繕局成立前の出来事(一)宮殿の避雷針  往時科学の未だ普及せざる時代に在りては、百般の事項について先輩の労苦は実に察するに余りあり。今宮殿建築の雷害に対する方案について常時の当局者は如何に焦慮したるか。左に往復公文書を掲げ、以て当事者の用意周到なりし事の一班を公示せんとす。先づ宮内省より工部省宛の文書は左の如し。 (中略)  之に対して工部省にては、電信当事者

          第一節 工部省関係の建築事項(P77-92)

          第八節 維新前後の建築年表(P72-76)

          工学会(1927)『明治工業史 建築篇』 第一編 建築沿革一般 第一章 維新前後の建築及び関係事件 外国人向の建築及住宅明治元年 築地ホテル館なる。建坪831坪除にして清水喜助の設計。 明治2年 延遼館の前身なる木骨石造の大西洋館なる。最初海軍所として使用し、通俗石室と唱えたり。後外国官に移され延遼館と改名。 明治3年 木挽町のウオートルス官舎なる。 明治4年 横浜外国人応接所なる。清水喜助の設計。      芝汐留の停留場内インジニール官舎なる。      赤坂黒田

          第八節 維新前後の建築年表(P72-76)

          第七節 建言その他の公文書(P63-72)

          工学会(1927)『明治工業史 建築篇』 第一編 建築沿革一般 第一章 維新前後の建築及び関係事件 第一 皇城炎上後の建言(一)土木頭小野修一郎の建言  明治6年5月5日 皇上炎上後、御再営に関して建言せしもの少からず。その中一二を次に掲げ臣民の御造建に関する熱誠の一端を示さんとす。即ち小野土木頭の建言左の如し (中略)  これ明治6年の建言なり。即ち本丸若くは西丸等御指定の場所に、取敢えず仮皇居を建築し参らせんとの事なり。次に細川潤次郎の建言を掲ぐ (二)正院四等

          第七節 建言その他の公文書(P63-72)

          第六節 内務省建築の経緯(P60-63)

          工学会(1927)『明治工業史 建築篇』 第一編 建築沿革一般 第一章 維新前後の建築及び関係事件  明治6年内務省の設置せらるるや、忽ち庁舎新築の必要迫りたり。よって大久保内務卿大隈大蔵卿連名にて新築の儀を願出で、同年12月許可の指令ありたり。伺書左の如し (中略)  別紙は次の通り (中略)  右伺に対して岩倉右大臣よりの指令は次の通り (中略)  是において大蔵卿は同省土木寮へ左の通り通達したり。 (中略)  斯くて明治6年12月に、該建築工事は内務大

          第六節 内務省建築の経緯(P60-63)

          第四節 慶藩置県前後の建築物の整理(P34-48)

          工学会(1927)『明治工業史 建築篇』 第一編 建築沿革一般 第一章 維新前後の建築及び関係事件 第一 宮華族邸修繕 明治4年7月廃藩置県の大変革ありたる前において、建築に関する事項を述ぶることは、住時を思ぶの所縁ともなり、些細のことなれども甚だ興味あることなり。次の往復文書の如きは頗(すこぶ)る面白きものの一なり。 (中略) 以上は即ち明治3庚午10月大蔵省大阪出張所より本省へ伺出でたるものなり。之に対して大蔵省が弁官宛にて交渉せしこと左の如し。即ち明治4年の日附な

          第四節 慶藩置県前後の建築物の整理(P34-48)

          第五節 市区改正の準備(P49-60)

          工学会(1927)『明治工業史 建築篇』 第一編 建築沿革一般 第一章 維新前後の建築及び関係事件 第一 市区改正の着眼 東京横浜間の鉄道将にならんとして、東都の玄関今や正に空前の姿を出現せんとするに先立ち、時の政府は先づその玄関に接する市街を改正し、洋風家屋を建設し、尚お都下主要なる街路を漸々改良せんとする企図を懐きたり。  是に於て早くも明治3年には新橋を改架し、旧来に例無かりし鋳鉄手摺附の橋となしたるが如きは、真に着眼宜しきを得たりと謂うべし。後明治6年に万代橋、同

          第五節 市区改正の準備(P49-60)