第八節 維新前後の建築年表(P72-76)

工学会(1927)『明治工業史 建築篇』
第一編 建築沿革一般
第一章 維新前後の建築及び関係事件

外国人向の建築及住宅

明治元年 築地ホテル館なる。建坪831坪除にして清水喜助の設計。

明治2年 延遼館の前身なる木骨石造の大西洋館なる。最初海軍所として使用し、通俗石室と唱えたり。後外国官に移され延遼館と改名。

明治3年 木挽町のウオートルス官舎なる。

明治4年 横浜外国人応接所なる。清水喜助の設計。
     芝汐留の停留場内インジニール官舎なる。
     赤坂黒田邸木造洋館起工。

明治5年 英国公使館なる。英人ウォートルスの設計。

明治6年 木挽町の蓬莱社なる。英人某の設計。

明治7年 露国公使館なる。設計者はスメドレー。

交通関係の建築

明治3年 鉄路建築司長イトモンド、モレル東京横浜間の鉄路及び停留場建築等の予算を大木民部大輔に提出東京及び横浜の各停留場建築費を3000ポンドと見積りたり。

明治5年 東京及び横浜の停留場なる。
     横浜税関建築の起工。

明治6年 木造二階建なる神戸東税関役所なる。その建坪163坪4合。

教育関係の建築

明治2年 京都府において和洋折衷の平屋建小学校流行。

明治3年 12月神田和泉町に医学校建つ。

明治4年 永楽町の分析所はこの頃落成したりとの説あり。後、勧工場となる。
     煉瓦造なる赤羽工作分局起工。この建築は仏人ルイ・フェリキス・フェランの監督せしものにして、竣工後工部大学校学生は実地研究に使用したり。

明治5年 工部大学校博物館なる。マクビル設計す。
     京都府にて二階建和洋折衷の小学校流行す。

明治6年 工部大学校生徒館起工
     神田錦町の開成学校校舎なる10月行幸

明治7年 工部大学校作工場なる。同年生徒館なる。

官公衙

明治元年 8月大阪において、煉瓦造なる造幣局建築の起工あり。英人ウォートルスの設計にして後工事中焼失。

明治2年 竹橋内の陣営起工。

明治4年 大阪の造幣寮なる。
     三階建煉瓦造なる竹橋陣営なる。

明治5年 二階建石造の兵部省庁舎なる。
     霞関の陸軍省兵衛なる。ウォートルスの設計。

明治6年 内務省本館起工、林忠恕の設計。

明治7年 煉瓦造なる造幣寮銅貨鋳造場なる。大阪にあること無論なり。

社寺

明治2年 九段招魂社仮殿なる。

明治4年 全国神社の社格を定む。

明治5年 九段坂上招魂社正殿改築なる。

商店

明治4年 兜町の三井組為換坐起工、清水喜助の設計なり。

明治5年 駿河町の三井組建築なる。これ清水喜助の設計。

明治6年 兜町の三井組為換坐なる。

雑件

明治元年 仏人ヴェルニー横須賀製鉄所工場に来着。

明治3年 閏10月工部省新設、同年7月10日民部大蔵分離して両省となる。
     9月藩制を定め、15万石以上を大藩、5万石以上を中藩、その以下を小藩と定む。
     この年新橋なる。鋳鉄製の欄干を設く。

明治4年 オーストリア博覧会開設、我国参加、
     この年廃藩置県。
     この年府下市区改正の計画あり。
     この年横須賀製鉄所へ行幸あり。
     九段坂上大灯籠なる。
     各県庁建家坪数を規定す。

明治5年 東京横浜停留場竣工、設計者はフリブヂンス。
     この年2月26日工部省類焼、
     東京府下家屋改正に付き太政官より東京府へ通達あり。京橋以南の大道路の幅を15間と定め並樹を植うるの制を設く。
     4月3日官営家屋取調規程を定む。

明治6年 5月皇城炎上、
     万代橋なる。眼鏡橋の俗称あり。
     この年横須賀製鉄所へ再び行幸。
     橫浜港新埋立地内被我公園造営。

明治7年 浅草橋なる。


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