第六節 内務省建築の経緯(P60-63)

工学会(1927)『明治工業史 建築篇』
第一編 建築沿革一般
第一章 維新前後の建築及び関係事件

 明治6年内務省の設置せらるるや、忽ち庁舎新築の必要迫りたり。よって大久保内務卿大隈大蔵卿連名にて新築の儀を願出で、同年12月許可の指令ありたり。伺書左の如し

(中略)

 別紙は次の通り

(中略)

 右伺に対して岩倉右大臣よりの指令は次の通り

(中略)

 是において大蔵卿は同省土木寮へ左の通り通達したり。

(中略)

 斯くて明治6年12月に、該建築工事は内務大蔵両省にて建築を施工する事となり、着々工事を進行せしめたり。さて茲(ここ)に注意すべきは、明治7年1月以来諸官庁の工事は工部省の管掌となれるに、内務大蔵両省は無論此廟議に与りて能く之を知り居りしにも拘はらず、僅に一ヶ月未満前において急速内務省建築の手続きを済ませ、且自ら建築し、工部省は竟(つい)に干与せざるに至りたることかり。斯くて内務省はその竣工、即ち明治10年1月迄自ら建築事務に当り、1月17日に工事施工権を工部省に譲りたり。明治8年時代の工部卿は伊藤博文にして、明治10年1月の内務の主脳は大久保利通、工部の主脳は伊藤博文なりき。

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