知らないということは、これから知ることができるという幸福のための、余白。
高校の頃に、友達がいた。
彼(仮に「福田」としておく)とは、ほとんど毎日遊ぶような仲だった。意味もなく自転車で山を越えようとしたり、深夜に公園で屯ろ(たむろ)したり、仲良く一緒のベッドで寝たり。高二の頃の修学旅行では、担任と学年主任をめちゃくちゃに怒らせて、二人でニュージーランドのホテルの廊下に2時間立たされたこともあった。
この一件は、高校生の自分たちにも反論すべきところがある。福田のパスポートの証明写真がただただニヤニヤしているというくだらない理由でヘラヘラ笑っていたのは(こういうクソほどくだらないことが、当時は最高に面白かったのである)、僕と福田だけではない。もう二人いた。なので、怒られるべきは全員で4人だ。しかし「現行犯逮捕」されたのは、自分と福田だけ。我々は首根っこを掴まれて廊下に引きずり出されたが、残る二人はどうしてか免罪されていた。子どもながらに信用できないと思う大人が多かったような気がするが、「やはり大人は恣意的で信用ならない」との思いをこの一件でも深めることになった。
まあ、ニュージーランドのくだりはどうでもよい。修学旅行の最終日前夜に意味もなく廊下に立たされ(彼らのロジックでは確かに意味があったのだろう)、「帰ったらお前ら覚えとけよ」とクソみたいなフレーズを学年主任に吐かれたことも、大人になればいい思い出だ。
いや、嘘だ、僕はもっとニュージーランドの最後の夜を楽しみたかった。うう。
もちろん、帰国後はみっちり「反省文」を書かされた。あの反省もしていないのに書く反省文ほど、意味のないものはこの世にないと思う。もうやめてください。
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福田には、当時付き合っている彼女がいた。その彼女は、別のクラスの女の子だった。そしてその子は、聞こえに不自由がある人だった。どうして付き合うことになったのかなど、深くは聞かなかったようにも思うけれど、二人は仲良く過ごしていた。
彼らの間におけるコミュニケーションで、もちろん不自由な点はあったのだろうと思う。けれども彼らは「普通に」付き合っていた。
確か、一緒にダブルデートのようなこともしたはずだ。でも僕は、福田の彼女とはほとんど話していない。きっと、積極的に関わりたいとはあまり思っていなかったのだと思う。耳が聞こえない、ということが自分にとってのハードルになっていたのかもしれない。
そうして彼らも、いつの間にか別れていた。
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先日、手話エンターテイメント発信団oioi(手話エンタメを通してコミュニケーションのバリアを壊す活動をしているユニークな団体)のメンバーと一緒にある映像をつくった。伊丹というエリアで「ITAMI GREEN JAM」という音楽フェスをしている大原さんからお声がけいただき、一緒に進めてきたプロジェクトにおける一つの完成物だ。
僕自身はといえば「ミーツ・ザ・福祉」という障害のある人もない人も一緒になってつくっていくフェスを通して、ここ数年間で、いわゆる「障害者」と呼ばれる人たちとの関わりが増えている。oioiのメンバーともそこで出会った。
一緒に手話も少しずつ勉強しながら、打ち合わせを重ね、映像をつくっていった。そして先日、公開を迎えることができた。完成した映像はYouTubeにアップされているので、ぜひ関心のある方は見ていただければ。20分ほどのショートムービーです。
◯SHUWACHAN BARRIER CRASH
https://www.youtube.com/watch?v=Q-2WdXpYNbA&t=276s
時間を経るごとに「聞こえない」ということに対して無意識的に感じていた壁が、少しずつなくなっていったような気がしている。小さな関わりを重ねていくことによって。
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差別とは、なんだろうか。
自分の高校時代の話を振り返ると、いくぶん差別的(排他的)でもあると思うし、一方では関わったことがなかったので「仕方なかった」部分もあると思う。だからと言って、自分を正当化することは当然できない。知らなかったでは済まされないこと、やったことがなかったでは許されないことがあることは知っている。だから、学び続け、関わり続けていく必要があるのだと思う。
なにが差別で、なにが配慮なのだろうか。
幼稚園の頃にウチの家が父子家庭になっていたことを、周囲の大人たちは知っていたのだろう。子どもながらになんとなく「配慮」されている気がしていた。聞いてはいけない、触れてはいけないアンタッチャブルゾーンがあって、その周辺でしか遊んではいけない。話してはいけない。りょうくんの家族のことには踏み入っちゃいけない。そんな雰囲気を受け取っていた(本当はそうではなかったのかもしれない。でも少なくとも幼い頃の自分はそう感じていた)。でもそれは、あまり居心地がよいものではなかった。
知らないことは怖い。関わったことのないものはわからない。
けれども、知らないがゆえに距離を取ろうとしてしまうことは、人間誰しも経験しているのではないだろうか。知らないことは怖いし、わからないことには否定的になってしまう。自分の外側にある未知に目を向けることは難しい(具体的にメリットを感じられることはあまり多くないと思われる)し、自分の中にある未知と遭遇することも困難(固定化した関係性や関わりの中ではなかなか出合えないの)だ。でも、多様な人たちと関わっていくその営みの中で、自分自身も相手も変わっていくことをわたしたちは楽しめる。ぼくがそうであったように。
知ることで自分自身も相手も、変わっていく。
変わることで、より深いつながりを得ることができる。
それは、大きな喜びとなる。
しかし一方で、なにかを知った時に、別の感情が生まれることも見逃してはいけない。
「誰も」知らなかったことを知ってしまった時の、あの優越感。
「知らないのであればみんなに伝えないと!」と駆り立てられる、あの正義感。
自分の喜びが、自分の感じる価値が大きければ大きいほど、この振れ幅も大きくなる。そしてそれは、ある種の武器になって、他者を貫くことがある。
差別と分断というものが優越感と正義感から生じるなにかなのであれば、きっと知らなかったことを知るという営みさえも、他者に対する「断罪」につながっていく部分があるのだろう。
みんな知ろうとしているのに、なぜあの人は知ろうとしないのか。
どうして社会が変わっていくことに、敏感であろうとしないのか。
傷つけられる側が存在すると知ってなお、どうして動かないのか。
知ることは、とても大切だと思う。
知ろうとする姿勢は、もっと大切だと思う。
けれど、それでいて、知らないこと、知ろうとしないことを過度に責めてはいけないとも思う。だって、それは過去の自分であり、別の分野や別の問題における、まさに今を生きる自分自身でもあるのだから。
しかし、これは言い訳や免罪符として使ってよいものではない。自分がしているかもしれない暴力や加害について、それがなかったことになるわけでもない。
僕ができることは、知ろうとする営みを続けること。その中で知らない(知ろうとしていない)人がいれば優しく寄り添うこと、あるいは、受け取りやすい形で面白おかしく、楽しく、クールに伝えること(僕は多くの局面においてマジョリティたりうる人間だと思っています)。そして、自分が傷つけているかもしれないあの人に、だれかに、思いを馳せること。自分自身のものの見方と関わり方を修正し続けること。
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知らない世界は、誰にでもある。
自分の中にさえ、知らない世界が無限に広がっている。
だから学ぼう。関わろう。
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福田は今、なにをしているのだろう。たまには、連絡でもしてみるか。
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