「おもしろがること」だけは、誰にも奪われない。

できないことを嘆くのではなくて、できることの可能性を探りたい。今の状況をせいいっぱい、おもしろがりたい。

現状に対して、胸がぎゅっとしてしまうこともある。なにもできない自分を残念に思ってしまうこともある。でも、いつだっておもしろさというのは社会側にあるんじゃない。自分の中にこそあるんだ、と思う。

昨日は、オンラインで障がいのある友人たちと飲み会をした。目の見えない人、介助がないと外出ができない人、いろんな人と一緒にZOOMで飲み会をした。


ぼくは、ずっともどかしかった。

さまざまなイベントは、来ることのできる人をそもそものターゲットにしている。でも「ミーツ・ザ・福祉」という障がいのあるメンバーたちと一緒になってつくるイベントを進めていくにつれて知った。

「出たくても出られない人がいる」
「前もって決めておかないと出られない人がいる」
「そもそもいろんな事情で、まったく外に出ることができない人がいる」

「場を編む人(ぼくの肩書きです)」と言いながら「自分、なんもできてへんやん」と思わされた。圧倒的な無力感。「いろんな人とともにいる」ことを願っているにもかかわらず、そうできていない自分の力のなさにがっかりしていた。

でも、今回、オンライン飲み会を通して、介助が必要な友人は「外に出るのは大変。家から参加できてうれしい」と言った。目が見えない友人は「まだまだ使い方に慣れないけど、楽しかった」と言った。

このウィルスがあったおかげで(そういうと嫌な気持ちになる人がいるかもしれません。ごめんなさい。でも)新しい視点に気づくことができた。新しいチャレンジをすることができた。

もともと、ZOOMというツールは知っていたし、使っていた。けれども、それを用いて、さらなる可能性を探るということはしていなかった。だけど、周囲の環境の変化が、自分に変化することを求めた。そして、ぼくはその変化を甘んじて受け入れ、しかし、せっかくだからなにかを掴んでやろうと思った。

自分ひとりだけで、変わることなんてできない。常に、外部から、他者から影響を受け、揺らぎながら変わっていく。順応していく。そして、新しい価値を生み落としていく。

そりゃ、明らかに大変な状況だ。見ればわかる。けれど、おもしろがるということの権利だけは、誰にも奪われることはない。その主導権は、常に自分で、自分の手元に持ち続けることができる。

こういう状況だからこそ、おもしろがって、遊んで、生きていきたいし、みんなと関わっていたい。塞ぎ込んでしまうかもしれない。わかる。できないこともたくさんある、できなくなったこともたくさんある。でも、それでも、できることの可能性はまだ開かれていると思う。

「おもしろがれるって、絶対」

そう思う。ぼくは、そんな気持ちをみんなと共有したい。

今日のZOOM対談に参加してくださったみなさんも、ありがとうございました。70名ほどの方が参加してくださって、ぼくはびっくりです。とってもうれしかった。また遊んでくださいね。マーキー、ありがとう。

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