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みなさん、おはようございます。
ウェルビーイング・ビジョナリーコーチのフジガッキーです!

きょうのテーマは、「漠然とした不安」です。

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不安に思うこと


最近あることでとても不安な気持ちを抱いています。
そんなことを師と仰ぐ先生にメールでアドバイスをお願いしました。

そうしたところ、先生からつぎのような返信がありました。

「もしかしたら、正体不明な漠然とした不安に気が向いているのかもしれませんね」

正体不明な漠然とした不安

そもそも漠然としてるから不安


ネットで「不安」を調べてみました。
もともとは心理学用語。

東洋経済ON LINEにこんな記事が掲載されていました。

実体のない「不安」が恐怖よりもずっと厄介な理由

「嫌われる勇気」著者岸見一郎氏の新刊「不安の哲学」からです。

一部気になった箇所を引用します。

デンマークの哲学者キルケゴールは不安の対象は「無(む)」であるといっています(『不安の概念』)。これは日常的な言葉でいえば「何となく不安だ」ということです。あれやこれやの出来事によって不安になるのではなく、じつは何でもないこと(無)が人を不安にさせるのです。

なるほど!
つまり、漠然としている、何でもないことから不安になるのか。

続けて、「不安」と「恐怖」の違いについてもこう書かれていました。

「また地震が起きるのではないか」と思う時に起きる感情は恐怖ではなく不安です。特定の日時に起きる地震についての恐怖ではなく、漠然とまたいつか地震が起きるかもしれないと思って不安になるのです。

とても理解できました。

逃げだそうとするほど強化される


岸見氏はアドラーを持ち出し、こう述べます。

不安は基本的には未来についての感情です。
(中略)
「人がひとたび人生の困難から逃げ出す見方を獲得すれば、この見方は不安がつけ加わることによって強化され、たしかなものになる」

つまり、
「人生の困難から逃げ出そうと考えることが先にあって、これを正当化するために不安という感情を使うのだ」と。

な~るほど!

イヤだな、逃げ出したいといった、人生の課題をもともと抱えた人にとって、「不安」という「無」の感情がいっそう拍車をかけるのか!


先生にアドバイスを求めたことがきっかけで、自分の中にある「不安」を調べてみました。
「不安」とは、無。すなわち形がないお化けのようなものなのだ。

心が軽くなったような気がしてきました。「不安」はなくなることはないけれど、うまくつきあっていこうと思いました。

岸見一郎氏の「不安の哲学」は読んでみたいと思い、さっそくAmazonでポチりました。


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