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昔の傷と今の自分

どうもお久しぶりございます!!

最近YouTubeでゲーム配信をしており、毎晩仕事終わりはそちらにどっぷりハマっているんだけれども、どうもPCくんの様子がおかしくて、っていうか起動しなくて。

今日も夜にゲーム配信やる予定だったんだけど、どうしようもないからお風呂に入って、「借金増えてでもゲーミングPC買うかなぁ〜まぁとりあえず今日は早く寝るかぁ〜」なんて思いながら湯船に浸かった。

なんか最近すごい浮腫んでるから(単に太ったのもあるけど)、全身もみもみマッサージしてながら、「自分よく頑張ってるねぇ〜よしよし」なんて思っているとふと自分の左腕が気になった。

いつもは、もうあまり気にならない左腕。

わたしの左腕には、セルフ根性焼きとちょっと大きめの切り傷、所謂自傷の跡がある。アムカってやつ。

セルフ根性焼きは、いつだったかな〜中学生頃?親のたばこで腕につけた。
切り傷の方は、例の失恋やらなんやらが重なりまくった時に(散々こすりまくったからもうリンク貼らないけど、過去記事「過去の恋愛の話」参照)。

自業自得だけど「その傷なに?どうしたの?」って聞かれるのがいやすぎて、夏場もあまり腕は出さずにいた。

自分で見る(見える)分には特になんとも思ってなかった。
むしろ、「この過去の傷があるから今の自分があるんだ!」みたいな、謎の誇り的な気持ちも正直あった。

けど、なんか今日は今まで感じたことのない感情で腕の傷を見てる自分がいた。
なんだろう。
その傷をつけてしまったときの自分を客観的に見てるようなかんじ?


なにもかも嫌になって、死にたいけどこのまま死んだら家族に迷惑かけるし、でも生きてるのもいやだしって思って深く腕に傷をつけてる自分に対して、

「そりゃそうだよね、でも見て見て!!今こんなにしあわせだが?」って誇らしげな今の自分。

『どこが?まだ実家だし、恋人もいないし、借金まであるじゃん』ってあのときの自分なら問い詰めてくるだろうなって思った(事実だし)けど、

「でもさ、腕切りつけたくなるような気持ちになることはもうないよ。今(過去の自分にとっての)みたいにつらい気持ちはもうないし、数年後には道端のお花にテンション上がるような、ちょっとしたことでしあわせ感じられるわたしになってるんだよ」

って堂々と返せるって思った。

……ん?

ってことは、ちょっと未来のわたしは「今のわたしで満足してるの?言っとくけど、もっともっとや〜ばいしあわせだぞ」ってにやついて言ってきてるんじゃない?将来有望でしかないじゃん??って思って、過去のわたしを勇気づけるつもりが現在のわたしもテンション上がってきた。


で、セルフ根性焼きに関しては、なんでこんなことしたのかもはや忘れてた。
けどなんとなく、”普通”でないと親に認められない自分の小さな反抗心、訴えだったのかなって。

”普通”っていうのは、あのときの自分の目線で言うと、部活に入って勉強もちゃんとして、塾にも行って、受験もして、進学してっていう。

今考えると、当時はそのルートで行けば概ね”間違いない”っていう世間一般の考えだったと思うから親がそう考えるのは無理もないし、それにあたってたくさんのお金を稼いでわたしのために使ってくれて、本当に恵まれているなと思う。
今は、素直に感謝できる。
一旦言わせてください。
ありがとう!!!!!


でもそれは、今大人になった自分だから考えられることで、当時の自分は全くそんな風に思えなかった。

”普通”からはみ出すのはこわいのに、”普通”に押し込められると抗いたくなるってやつ。

だけど反発しきれず、セルフ根性焼きっていう選択を取った。

でね、ここまで考えた時にす〜〜〜んごいハッとしたんだけど、わたしにとってピアスも同じような感じだったんだよね。

今、耳に29個、舌に6個、合計で35個のピアスをつけてる。

もちろんこれ全部がネガティブな理由で開けたわけではない。

でも、大半はそう。


親への小さな反発、せめて見た目だけは”普通”でいたくない反抗、何か外的ストレスがあった時の痛みへの逃げ。

わたしにとってのこの大量のピアスって、「これがなきゃ自分の個性を確立できない」っていう、わりと後ろ向きな意味が大きく含まれているんだなって。

そのことに気がついた。
ってか、薄々気づいてたけど見ないふりしてたっていうか。

「この歳でピアスを塞いだら、やっぱり人間って歳重ねると落ち着くんだね〜って思われるかもしれないから絶対外さない!」とか、
「外しちゃったらたとえ自分の意思でも親に、ようやく言うこと聞いた!って思われるかもしれない!そんなのは悔しいから絶対外さない!」とか、
「ピアス外したら、自分は”普通”に戻ってしまう。”普通”でいなきゃいけなくなる。」とかとか。


大量のピアスがない=自分のアイデンティティを失って無個性になり社会に馴染むのを許す


って、自分で自分に植え付けてたみたい。
※当たり前だけど、ピアス少ない、開いてないから、無個性・社会的に"普通"とかそういうことじゃないです。あくまでわたしがわたしにかけてた呪いってやつ。


普段「ピアスじろじろ見られたっていい!周りは気にしない!」なんて言っておきながら、ピアスがない自分に焦点を当てると、めっちゃくちゃ周りの意見とか視線を気にしてんじゃんっていう。


わたしはさ、ピアスがたくさん開いてること自体かわいいって今でも思ってる。
たくさん開いてる人を見るのも好きだし、かわいいと思うし、今でも自分の耳も舌もかわいいと思うよ。

だけど、それは客観的に見たときの話で。

本質的に見たら"わたしのピアス穴"は、自分を過去の価値観に縛り付けるネガティブなアイデンティティなんじゃないか、負の遺産を残してしまっているんじゃないかって思った。

それと、自分自身をたくさん傷つけてきたこと、自分に対してごめんねって思った。
わたしの場合ピアッシングは、オシャレという概念を盾にした正当な自傷行為でもあったから。


そんなことに気付いてしまったもんだから、徐々にピアスを塞いでいこうかなって自分自身に言い聞かせてみたら、めっっっっっちゃ涙が止まらなくなったの。
す〜ごい涙出てきたんだけど、感情は明確じゃなくて、でも明確じゃないなりに近しいものとすれば、『さみしさ』『安堵感』だったかな。

このピアスたち、つけっぱなしだったから正直か〜〜〜〜〜〜なり寝づらくて(寝返り打つと痛くて)たぶん睡眠不足の原因でもあったと思う。
マインドの問題だけじゃなく実は実生活にも支障をきたしていて、それでもやっぱり外さなかったのは、やっぱり変な意地もあったからだよね。


親への反発、社会における”普通”への小さな抵抗から始まって、人生の半分くらいずっとこうやってきたから、やっぱりさみしさはある。

余計なもの(ピアスが、じゃなくて考え方のこと)がなくなって、無理にアイデンティティを着飾るわけでもなく、"ただのわたし"としてまた新たに生きていく。

大袈裟な表現かもしれないけど、自分としてはそんな感覚。
だから、昔の自分からは卒業して、ありがとうして、バイバイをする。

そりゃ涙も出るってもんですよね!!!!!!!!

ただの入浴時間だったはずが、人生の半世紀を振り返って、さらには"NEWわたし"としての生まれ変わりの決意までして。


なにげない日常のちょっとした時間、しかもすべて自己完結な出来事だったけど、間違いなく自分の人生の中で重要なポイントになったと思ってnoteに書き記すことにしました。

いきなりはさみしいから徐々にね、塞いでいこうと思いますよ!!!!!!

今までの自分がいたから今の自分がいる。

"昔の傷"を見なくても、残しておかなくても、忘れ去ったりしないから!!!!
ちゃんとあのときの自分も含めての、今のわたしだから!!!!!
本当によく頑張ったね!!!!!
もう大丈夫だよ!!!!!

と、当時のわたしにクソデカボイスで伝えたところで、、、
これからのNEWわたしも、みなさまどうぞよろしくお願いいたします!!!!!

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