fuji_gindan

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溜池築造

十月十六日朝六時十五分台中発車、 十一時十七分に番子田駅に下車して社線に乗り替えた。 社線というのは台湾公共境圳嘉南大圳組合がその事業上の必要から敷設したもののことである。 今日の温度車室内では90度、社外は92,3度ほどあったことと思う。 最早気候に慣れ切ったためか、左程に暑さを感じなかった。 今朝台中を立つとき停車場の陸橋から新高山およびその連峰を明瞭に眺望することが出来て頗る愉快であった。 主山の海抜一万三千七十五尺、富士を抜くこと五百尺、 主山の左右を擁する北山、南山

    • 台中瞥見

      今日は台中へ来た。 三時半頃着中すると直ぐ、 市内をグルグル引き回されること例の如しで、 真っ先に公園を一巡り、これが九分間、 水道水源地の見物に五分間、 第一中学校に向かうのに五分間、 同校参観が二十分間、 市内の大通りを見るのが二十分間、 農業倉庫の往復に五十分間m 第一市場十三分間、 それからまた五分間を費やして公会堂の官民合同歓迎会へ運ばれ約二時間辛抱、 七時半にようやっと樋口旅館というのへ腰を下ろしたと思うと、 三井物産台中出張所主任、市常設委員土井滋治君と、 台

      • 天恵楽土

        台湾は内地に比べて暑いに相違ない。 現に台北の昨今は九十度《華氏、約32℃》内外の温度で、 当地に居る内地人はいずれも詰襟の白服姿で、 下には極めて薄い半シャツを着ているに過ぎないため、 合着帽にモーニングなんか着て終始押し通そうという私などは甚だ不似合いである。 現に昨日は北投でかき氷を喫したり、 宴会で必ずアイスクリームが出たりする状態であるけれども、 晴天の日には冷風が吹くので凌ぎやすい。 浴衣一枚で寝ていると早朝には冷え冷えとする。 南方へ進めば今より少し暑くなるらし

        • 北投温泉

          永楽市場を出ると、 自動車は一時間を35マイルの速力をだし、 驀地《まっしぐら、爆走》に北投に馳せた。 北投は台北から六哩あまりの七星郡の北方にあって、 台湾鉄道旅行案内をそのまま失敬するとこうある。 「西半は沃野良く開け、淡水海を隔てて遥かに観音山を望み、 冬温夏清、幽邃閑雅の境地で、 公共浴場(市の経営)を初め、数十の温泉宿があり、設備の整い具合は本島第一で、賑わいある温泉街を作り出している、」 その公設浴場は半洋風の大建築で、浴槽も広大である。 到着後洋服を脱いで浴衣が

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        • 備忘録
          1本

        記事

          永楽市場

          十月十四日は台北名残の視察日であった。 午前中にまず第三高等女学校を参観した。 同校は西門町三丁目という所にあって、 敷地四千坪に近く建坪千六百坪と註され、 生徒六百近くのうち内地人は極少数で 殆ど全部が本島人であるそうだ。 一室で茶菓子の饗応を受け 校長から学校内容の概要に関する説明を聴いている間、 制服の生徒が私共に給仕するのを見ると、 いずれも色は黒いが内地女子といささかの変わりなく、 邦語《日本語》は完全なものであった。 卓上にある作文、和歌などを読むと一通りできてい

          首狩り道徳

          蕃人に関しては大分材料を手に入れたが、聴けば聴くほど蕃人諸君に対し欽慕の情に堪えなくなってきた。 「どうだ生蕃へ婿入りをしないか」などと、 私は若い同業諸君に戯れ話を言っている。 昨年宮内省の田邊尚雄さんに汽車中で遇った時、 生蕃音楽調査のため山地へ踏み込み、 蕃社の歓待を受けたときの体験談のインタビューを試み、 蕃人が珍客として田邊氏の身辺を保護する様子は懇切極まりなく、 義理堅いことも驚くべきものがあったと言って、 盛んに蕃人を賞揚されていた。 昨日殖産課長の喜多氏が言う

          毒蛇研究

          かつてペストの台湾、マラリアの台湾であったことがあるけれども、 こんにちは最早ペストの跡を絶ち、 都会地においてはマラリアも出ないが、 南部へ行くとアメーバ赤痢、中部には肺ジストマ、 屏東および花蓮港の蕃地などでは、黒水病だの甲状腺腫等の地方病はある。 なお東部海岸は一帯に例のツツガムシがいる。 そういうことは差程恐ろしいことだとは思わないが、 地方病以外に不気味千万なものがある。 それは毒蛇だ。 山地住民は実際毒蛇に悩まされるので、 一年で五六百人はその被害に遭うそうだ。

          東餐西饗

          十月十三日快晴。 《14日の誤植?》 日中の暑さは九十度内外《華氏、32℃ほど》であったけれども、 涼風が吹いて昨日より遥かに凌ぎやすくなった。 今朝電話をかけて商店から夏の半シャツを二枚買い足し、 毎日洗濯をさせるつもりでいたが、 差程の汗は出なかったので、 これならば先ず大丈夫だろうと思った。 この日午前九時に総督府へ挨拶に出掛け、 長官公室で後藤文夫さんに遇い、 七層楼の府庁内部を見せてもらったが、 課長急の役人でも広大な美室に構え込んでいた。 阿里山の亜杉や樟の貴重木

          富源高砂

          基隆と台北を見ただけで、まだ台湾の全体について言うことは出来ないが、 悪港基隆がこんにちのような良港となり、 台北市街が内地でもなかなか見ることが出来ないような堂々たる文明国式の偉観を呈するようになっているだけでも、 日本の植民に対して腕前を有していることが首肯される。 無論そのためには多くの資本が注がれたに違いない。 基隆の築港費だけでも、初めのうちは約一千万圓、 明治45年度から大正15年度までの継続事業に一千五百万圓を投じ続けているほどであるから、 その他の施設経営にず

          駈け足見学

          台湾神社の次に商品陳列館に行って、 台湾の生産品を一覧し、 一行中同館でそれぞれ買い物を調べたが、 買い物ならば帰途の方がよいだろうと考えたから無しにした。 陳列館の庭園は日本風に見事に出来ていた。 この構内には言うまでもなく、 道路のいたる所で見るものは棕梠、擯榔子《おそらくビンロウシ》、芭蕉、台湾松すなわち榕樹《ガジュマル》などで、 南国の趣きはこれらの植物より感じられ、 滿洲の都市大連などとはまた異なった感じがした。 陳列館から鉄道ホテルへ回ったのは正午近くで、 そこの

          駈け足見学

          台北入り

          今日は台北へ着いた。 基隆へは朝未明に入港したが、船楼甲板で乾杯をやったり、 帰航の船室の申し込みをしたりして、 船から降りたのはかれこれ七時過ぎであったと思う。 下船前、私どもの一行は活動写真のフィルムに収められ、 その一部は台湾日日当日の夕刊の写真版となって現れた。 上陸後乗船食堂に会合、 直に小蒸汽《汽船》に分乗して港内築港の実況を視察した。 基隆というところは東西南の三面を山に囲まれているから、 天然の良港たる素質を有するのであるが、 港内が浅くて千トン級の小船すら市

          低気圧来る

          十月十一日。 今朝四時頃に目を覚ました。 非常にふらふらするから、どうしたわけかと思ったら船の動揺が激しくなっているのだ。 気が付いてみると、船室の窓ガラスの重たいのを吊り上げるために天井から下げてある鎖や、 寝台のカーテンを縛る紐房などがあちらこちらへと揺られているし、 舷側を打つ波浪の響きがサザザザアと高鳴り、 上部ではひゅうびゅうと風の音がしていた。 蒸し暑いことこの上もなく全身に汗ばんでいるので、 起きて顔を洗い体を拭きジレットで髭を剃り、 今度はシャツ一枚になって寝

          船内雑事(下)

          十月十日、午前四時に目が覚めた。 九日の晩は強く寒さを感じたから、昨夜も予め冬シャツを着込んで寝たが、 案外に暖かで汗ばむ位であった。 室内で洗面を終え直ぐ甲板へ出て海を眺めると、 東天紅を潮して今まさに旭陽の昇ろうとするところだ。 ちょうどここには横雲が棚引いて、よく見ると模糊とした山影がある。 航路はまだ陸地のあるあたりを離れないらしい。 山影の下に隠現灯台の光がピカリピカリとやっているから、 どこだろうと思って、後で部屋ボーイに訊くと平戸の灯台であった。 ぼんやりした夢

          船内雑事(下)

          船内雑事(中)

          九日は昨日の悪天候に引き換え思い切った快晴である。 室内で洗面して爽味に甲板へ出て関門両陸を指呼の間に眺め、 まだ冷たい海気を呼吸した。 昨夜配布された船中無線電信は天候悪変の兆しありと報じていたにも関わらず、 まるで嘘をついたような空模様じゃないか そのうち今朝の福岡日日が真っ先に船の中に送られたのを見ると、 九州は七日から八日にかけて大分荒らされたらしいので、 暴風雨はもう通り過ぎてしまったのか、それとも新しい台風が現れているのか、 なにしろ晴れ切った海は素敵に好い。 今

          船内雑事(中)

          船内雑事(上)

          年来昼食抜きの二食主義で立てているけれども、 旅行中は臨時不定食主義に改めている。 不定食主義とは腹が減れば食べ、減らなければ食べないことである。 従ってこれを自然主義と言うこともできる。 それで一日一食のこともあり、二食のこともあり、人なみに一日三食を摂ることもある。 乗船当日は旅館で少量の朝食を摂ったまま、午餐(昼食)の銅鑼が鳴った時には食欲が起こらないので食堂へは欠席し、晩食には出て行ってみたが、 電灯の光下に照り輝く広大な室内の光景は、ちょっと精養軒あたりへ入ったよう

          船内雑事(上)

          風の内海

          雨は晴れたが相変わらず風は激しい。 二等船室外の上甲板へ出てみたが吹き飛ばされそうで立って居ることができなかった。 この間に船内を一巡りしてみようと思ったので、 船楼甲板の一等室から中甲板の三等室まで残らずざっと見て、 食堂の前へ出ると、 事務長が立って居た 「随分ひどい風ですね」 と言葉を掛けると 「そうです。今日のような瀬戸内海の荒れ方は極めて珍しいことで、まあ三年に一度くらいなものでしょう、もし小さな船だったら大変ですが、この船は大きいのでお幸せです」 と笑った。 なん