船内雑事(上)

年来昼食抜きの二食主義で立てているけれども、
旅行中は臨時不定食主義に改めている。
不定食主義とは腹が減れば食べ、減らなければ食べないことである。
従ってこれを自然主義と言うこともできる。
それで一日一食のこともあり、二食のこともあり、人なみに一日三食を摂ることもある。
乗船当日は旅館で少量の朝食を摂ったまま、午餐(昼食)の銅鑼が鳴った時には食欲が起こらないので食堂へは欠席し、晩食には出て行ってみたが、
電灯の光下に照り輝く広大な室内の光景は、ちょっと精養軒あたりへ入ったようである。
一等船客は三度とも洋食だが、二等は和食で、献立は
 まぐろの刺身、名前の知れぬ魚の吸い物、茶碗蒸し、蒸し牛肉あんかけ、菜っ葉よごし、漬け物いろいろ、白飯
で材料は新鮮であった。
蓬莱丸の案内書には「広大な冷蔵庫に新鮮は魚菜、肉類を貯め、あるいは四時(四季)東西の珍果を供して食卓を賑わすことを怠りません」とある。
私は割合に健啖を極め飯を三杯おかわりしたのは胃病持ちにも似合わないことである。
浴場は昼食前後と晩食前後とに開かれたが、
晩食に健啖を極めた勢いで風呂へも入ってみた。
そこには三人ばかり入れる日本式の風呂と洋式のものとがあった。
日本風呂は湯が汚れているから洋式の方へ入った。
こんなバス盤の中へ入るのは九年以上前のハルピン以来のことだ。
洋風だから風呂番が背中を流すような事もなく、ドアさへ開かず、内部から錠を下ろすようになっているから至極遠慮が要らない。
湯から上がって風に吹かれようと甲板へ行ったが、廊下の女湯では生憎ドアを半開きにしてあるので、女の白い身体が二つばかり見えた。
船内では臨時に「蓬莱新聞」と題するものを発行し、無線電信の受信を次から次へと配達して来る。
その記事のうちに本船内の名士という見出しで藤山雷太氏、文学博士の幣原担氏、精糖重役の金澤冬三郎氏が要ることを報じたものや、
世界野球戦の結果や、本日の株式相場や、加藤首相の行動や、新聞協会幹事会が開かれたことや、いろいろな報道の後に「明日の天候」というやつが現れた。
「明日の天候は不良にして多少台湾航路い
揺れがある見込みである」
脅かしやがると言わざるを得ない。
今日八日の晩は余興場が開かれないそうだけれども、
九日の晩は何か始めるらしい。
芸人はいずれも船員だろう。
そういえば風呂番先生の声は芸人嗄れに嗄れていると思ったので室内ボーイに訊いてみると
「はい、あれは浪花節をやります」と言った。
湯中軒垢右衛門の「南部坂雪の別れ」ぐらいが聴けそうだ。
室内ボーイの顔付きもなんとなく芸人風である。
「君は何をやるのかね?」と言っての笑っていて答えないが、
ひょっとすると恁麼男(?)かヘツボギ先生(?)の所謂「とらやあやあ」(?)でもやるのかもしれないぞ。
(大正13年10月8日、蓬莱丸にて)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?