船内雑事(中)

九日は昨日の悪天候に引き換え思い切った快晴である。
室内で洗面して爽味に甲板へ出て関門両陸を指呼の間に眺め、
まだ冷たい海気を呼吸した。
昨夜配布された船中無線電信は天候悪変の兆しありと報じていたにも関わらず、
まるで嘘をついたような空模様じゃないか
そのうち今朝の福岡日日が真っ先に船の中に送られたのを見ると、
九州は七日から八日にかけて大分荒らされたらしいので、
暴風雨はもう通り過ぎてしまったのか、それとも新しい台風が現れているのか、
なにしろ晴れ切った海は素敵に好い。
今日の午餐は電報通信社が下関の春帆楼で御馳走をするというので、
新聞協会の一行はランチが来るのを待ち兼ね、
皆それに乗って下関へ行ったけれども、私は御免被り、
同室の浅海、近藤二人もまた船に残った。
こんな日には自由に気楽に伸び伸びと過ごしたいと思う。
朝食を終えて船楼甲板へ昇ると、籐椅子は丸空きになっているから、
長々身を横たえながら、三人で新聞の談義などをしていると随分時を経ていた。
それから理容室を覗くと、亭主はまだ寝ている。
九時過ぎにまた行ってみるとお客が一人いるので部屋へ帰ったが、
十時過ぎに呼びに来たから、
同町内即ち同じ廊下の一番艫の方の端にある理容室へ出掛けた。
部屋の前には古風に例の赤白捻巻の細長い看板電灯が点き、内部には花瓶に花を挿したり、風景画の額をかけたりして小綺麗に装飾されている。
亭主はやはりハイカラの若い男で、模様つきのワイシャツの腕を捲り、
私のことを「御宅さん御宅さん」といて盛んに談じる。
亭主が言うには、会社の笠戸丸が今朝八時に門司へ着くはずであるのに未だに姿を見せないから時化に遭っているのだろう。台湾はきっと荒れだろう。
とのことだ。
「御宅さんは台湾は初めてでございますか?」
というから、そうだと答える。
「台北は内地同様の気候ですが、山を一つ越しますと馬鹿に暑くなります
 台南、高雄と来たら大変なもんですぜ、
 内地の暑さと違って臓腑の中から煮え繰り返るようで、
 ほんとに不思議な暑さで内地から初めての人は身体を壊します。
 御宅さんは何国(県)の御方か知りませんが寒いお国であったなら、そりゃあ驚きなさるだろう。」と言った。
それはいいとして、話し合っていて気が付くと、私の頭は坊主のようにくりくりと苅り立てられてしまったので、すべすべと撫でまわしながら、さっぱりして部屋へ帰った。
船が門司へ着いてから、売り込み商人がひっきりなしに室内へ闖入し
「読み物はどうですか?」「松茸の御用はありませんか?」「雲丹を買ってください」「果物はいかがでしょう?」
などと非常に煩く勧める
「これから台湾までお退屈でしょうから、読み物はぜひご必要です、ねえお客さん、一冊買って下さい」というので、
私は上の寝室で寝たふりをしていると、下の近藤君がとうとう一冊押し付けられていた。
近藤君は石動在の人で江川為信君と懇意になり、江川君は近藤君を頼って信州へ出たものであるそうだ。
いろいろそれまでの消息を聴いた。
近藤君は私の事をも自然とよく知っているとのことである。
先生の読んでいる今ほど買った本は六浪の弟子の何六とかいう者の書いたものだそうな。
私どもの一行は八十何名と註されていたけれども、結局六十余名となり、今日門司から乗り込むはずの十幾名を合わせると七十六名とかになるらしい。
まだ連盟簿を入手していないから判然としないが、篠原翁は来ていないようだ。
然し江戸翁は居る。
江戸君も、昨日ちょっと私の部屋へ来訪した阪牛君なども一等船客となっている。
門司出帆は午後四時だ。
停船八時間、今朝から間断なく起重機の車の音がしている。
つまり停船時間は全て荷役に費やされるものらしい。
艫でも舳でも、両甲板で荷物の揚げ卸しをやっている。
(大正13年10月9日、蓬莱丸にて)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?