北投温泉

永楽市場を出ると、
自動車は一時間を35マイルの速力をだし、
驀地《まっしぐら、爆走》に北投に馳せた。
北投は台北から六哩あまりの七星郡の北方にあって、
台湾鉄道旅行案内をそのまま失敬するとこうある。
「西半は沃野良く開け、淡水海を隔てて遥かに観音山を望み、
冬温夏清、幽邃閑雅の境地で、
公共浴場(市の経営)を初め、数十の温泉宿があり、設備の整い具合は本島第一で、賑わいある温泉街を作り出している、」
その公設浴場は半洋風の大建築で、浴槽も広大である。
到着後洋服を脱いで浴衣がけとなり、
まず一浴を試み、
大広間に寝転んで緑樹に覆われた三面の山々を眺めたが、
高田新聞の田中主筆などは若くて元気があるから湯元を見に出掛けたりなんかして、
「君、熱い湯が出ているよ」などど報じた。
朝鮮へ行くと上陸後まず東萊温泉に案内されるのであるが、
台湾の北投は朝鮮の東萊などとは比べ物にならない立派さで、湯量も絶大である。
ここで北投温泉案内図と題した一枚絵と絵はがき一袋を寄贈されたが、
それらを見ると、
近くに不動滝と称する六尺幅で高さ九尺の滝などがあるらしい。
折詰辨番の饗応があったので、それを使った後、
私は腹這いになって往路同船の浅海、田中、山本、近藤の諸君および同旅館にいる帝通の細井、岩手の福田などの諸君と世間ばなしをしたり、帰路の相談をしたり、土産物についての談義をしたりした。
案内図の上には「世界一のラヂユム名所」《おそらくラジウム》と吹き立ててあるが、これは真かどうか知らん。
湯を飲んでみると少し塩分と酸味とを覚えた。
いつ頃からこの温泉が開かれたのかと聴くと、
光緒二十年にドイツ商人が発見したということで、
開発されたのは最近であるそうだ。
《予定に沿って》浴場から新北投駅までの一二丁の間を歩き、
軌道車が来るまで駅前の茶店で雪《原文ママ、かき氷?》を食った。
それから軌道車なるものに初めて乗ったが(内地にもどこかにあるらしいけれども)電車が煙を吐いてゆくようなものである。《ディーゼル列車?》
台北駅に着くと、自動車が待っていて梅屋敷に案内された。
今夕は台北官民合同歓迎会という名義の園遊会で、
仮舞台を設け芸者連の素囃長唄(新浦島)のあとで支那女優白玉英一座の天女散花があった。
例の梅蘭芳得意の歌劇で帝劇で見たこともあるが、
白玉英の芸はわるく無いようで、
白玉英の天女は美しく、白玉樓の侍女は愛らしかった。
寒山拾得の幅中から脱げ出たような維摩居士が出たり、
托鉢僧みたいな坊さまがゾロゾロと現れたりしたのは頗るご愛嬌である。
園遊会の開会は点灯後になったので、
急いで帰宿しようとすると、
是非何か食って烟火を見てから帰ってくれと主催側の委員に引き留められ、
支那芸者に汁粉一椀を取ってもらい、
仕掛煙火《おそらく中国式の花火》を一つだけ見て御免を被り、
俗に八角堂と呼ぶ市場へ行って土産物を若干買い求め、
相応に疲れて宿へ帰った。
これから明朝台中へ向けての出発の準備に取りかかる段取りである。
(大正13年10月14日、台北にて)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?