溜池築造

十月十六日朝六時十五分台中発車、
十一時十七分に番子田駅に下車して社線に乗り替えた。
社線というのは台湾公共境圳嘉南大圳組合がその事業上の必要から敷設したもののことである。
今日の温度車室内では90度、社外は92,3度ほどあったことと思う。
最早気候に慣れ切ったためか、左程に暑さを感じなかった。
今朝台中を立つとき停車場の陸橋から新高山およびその連峰を明瞭に眺望することが出来て頗る愉快であった。
主山の海抜一万三千七十五尺、富士を抜くこと五百尺、
主山の左右を擁する北山、南山、東山、前山などがクッキリした輪郭を天の一方に描いている様は、雄大極まりないものであった。
汽車が新竹洲から台南州に進み行く沿道の光景は、
漸次南国気分を濃厚にさせ、
鉄道は芭蕉、木瓜などの林の間を突進し、
カボチャのような木瓜がその幹の中部から上部にかけて一面にぶら下がり、
バナナの実が塁々として垂れているのを見るのは珍しかった。
台中市場の本島人の群、そこを差してバナナや野菜をにない、
陸続きとして急ぎ行く農民の姿にはカメラを向けてみたいと思った。
社線は正午に鳥山頭の事業地に着いたので、
徒歩で工事現場に赴き、
ある高地の仮屋内で台湾料理の午餐を饗応された。
嘉南大圳組合は内地水利組合を大規模にやっているようなもので、
内地にその例を求めることが出来ないからザットその事業を説明する。
●《土へんに卑》圳一帯の広漠な大原野の大部分には適当な水源がなく、
渓流があっても流路が短く雨が降れば泛溢し、
乾けば涸渇するので開墾に手をつけることが打ち捨ててあった。
よって新たにその土地を利用し、
かつまた従来の干魃水害に悩まされた看天田、蔗園等に改良を施すために、
灌漑水源を曾文渓および濁水渓に求めようとするもので、
曾文渓からの引水は鳥山頭において官佃渓を締め切り大貯水池を築造し、
鳥山頭嶺に隧道を穿ち曾文渓上流から渓水を導き、
官佃渓流域の雨水とともにこれを貯え、
必要に応じて流出給水するとともに、
濁水渓においては斗六郡●《くさかんむりに刺》桐庄新庄子の護岸から取り入れ、
圳路により渓水を田園へ送ろうとするのだ。
高所の上から貯水池とする場所を足下に俯瞰したがm
満水面積一億平方尺、水量五十五億立方尺、土堤の高さ百七十五尺と註され、
給水路幹線は延長二十七里、支線二百三十九里、隧道千七百間、
工事費四千二百万圓、うち千二百万圓は国庫の補助を受け、
組合員から相当賦金を徴収して施工しているもので、
破天荒の計画を言わねばならない。
希くは《請い願わくば》黒部の水利を下新川郡の山地に導いた大熊道三《椎名道三?》を地下から起こしてこの計画を診てもらいたいなどと私は考えた。
この事業が成功すればどれ程の利益が得られるかと聞くと、
土地経済の概要調査の結果
灌漑を受けることが出来る土地作物の産額増加は
米で419,919石
砂糖で173,350,152斤
収穫物代の増加で15,084,307圓
土地価格の増加で96,917,200圓
で、なお貯水池で水産物の養殖が行われる予定らしい。
食料問題に行き詰まった今日、組合の土地利用が国家に貢献するところが多いのはもちろん、
この大胆な計画に学んだならば、
内地においてもなお耕作地増加の余地を見出だし得られるであろう。
したがって嘉南大圳の見学は大いに私の興味を引いた。
貯水池築造の地域すなわち鳥山頭の山間は毎年山火を起こすので、
あらゆる樹木が焼け尽くしているが、
唯、●《木へんに康》榔と書いてコンコロと読ます蘇鉄の親分のような植物だけは一面に叢生しているので、私共はこれを背景にカメラを向けた。
嘉南、大圳組合が珊瑚潭を築造している鳥山頭は、
一帯が先住民族の遺跡地で学会の耳目を聳動させている。
石斧および各種土器が多量に発掘されたが、
まだまだ工事が進むにつれて現れることだろう。
その上石油ガスが噴出するというから、将来この不毛の原野が南部台南の一大富源となるかもしれない。
不思議なことに貯水池築造の工事現場へ登り行く、茫漠たる草原道の間に転がっている小石は卵形または純円形を成し、
ゴム球が落ちているのではないかと疑ったほどだが、
理化知識を有する者にその原因を聴きたいと思った。
その草原には大きな水牛が至る所に逍遙していて、
その背中んは台湾鳥が止まって虫を取っていると、
水牛はいい気持ちになって、鳥の労を煩わしていた。
社線に乗って番子田に帰り、さらに官線に乗り替えたが、
番子田は鳥山頭に通じる要衝に当たり貨客出入りの門戸だということだが、
鄭氏拠台当時、麻豆にいた平埔蕃族がこの地へ逐われ来て新田を開いたためにその名を生じたと伝えられている。
鉄道沿線の原野に多数の龍眼樹が怪奇を極めた枝ぶりをなして繁っているのを見たが、
これは平埔蕃が植えたともいい、三百年以前に和蘭人が植えたを説明する者もいた。
今日嘉義駅から約七分程の車外に北回帰線の標柱を見た。
これは北緯二十三度二十七分四秒、東経百二十度二十四分四十五秒の地点を示すもので、以南は熱帯圏に属するのである。
見たところ、ちょっとした石塔が広野の間に立っているだけの事に過ぎないけれども、
これからいよいよ熱帯地方かと思えば、
モーニング姿の自分が白麻服を持って来なかったことの不注意を悔いないわけにはいかなかった。
(大正13年10月15日、台南にて)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?