天恵楽土

台湾は内地に比べて暑いに相違ない。
現に台北の昨今は九十度《華氏、約32℃》内外の温度で、
当地に居る内地人はいずれも詰襟の白服姿で、
下には極めて薄い半シャツを着ているに過ぎないため、
合着帽にモーニングなんか着て終始押し通そうという私などは甚だ不似合いである。
現に昨日は北投でかき氷を喫したり、
宴会で必ずアイスクリームが出たりする状態であるけれども、
晴天の日には冷風が吹くので凌ぎやすい。
浴衣一枚で寝ていると早朝には冷え冷えとする。
南方へ進めば今より少し暑くなるらしいが、
この調子ではいささかも恐れるに足らぬ。
当地の官民は気候に関する内地人の誤解を遺憾とし、
台湾を瘴癘の気に充ちた亞弗利加《アフリカ》の蠻地《蛮地》のように捉えているけれども、
夏が長く冬が短いだけで、温度は内地よりも高くない。
極南の恒春地方に至っては冬といえども恒に春のような和順の楽土であるというから、
衛生状態の改善がなされた今となっては、
北陸人士は当地に別荘を持って避寒に来るのもまた悪くないのではないかと思う。
その上、当地には内地では口に出来ない珍味がある。
洋食の卓上に必ずある木瓜《パパイヤ》は一見カボチャのようなもので、
内部の肉を抉って食べるのであるが、だれしもその美味を喜んでいる。
柑橘類にはボン柑、雪柑、桶柑と書いてタンカンと呼ぶもの、斗柑と書いたシャボン、文旦と書いたブンタンなどが卓上に積まれる。
芭蕉の実だの凰梨などは言うに及ばない、それから龍眼肉など。
私は果実類に嗜好を持たない体質であるが、
蔬菜《キノコや野菜》にも珍しいものが豊富であることを永楽市場で教えられた。
水産は無論のこと種類に富み、
北部では鰹、鮪、連子鯛、旗魚など、
東部海岸では惣田鰹、飛魚、
西海岸では鯔、鰤、
南方では旗魚、黄花魚などが捕れ、
今日の漁獲は二三千萬斤、六七百萬圓は今後数倍に高められるだろうというから、魚には飽くことが出来る。
名所旧跡というものはない、有りはするが皆新しい。
しかし山へ入っても海岸へ出ても頗る奇景に富み雄大驚くべきものが多い。
その上に温泉はいたるところに湧き出るときたら、どこに遊びに行こうと欲するままだ。
温泉は北投の他に台北地方では草山というのがあり、
宜蘭方面には礁渓、文山の鳥来、
台南では新営郡の關仔嶺、これは北の北投と両大関の位置にいる。
台東へ行けば本知渓の山腹にある知本、奸子崙、
花蓮港では瑞穂だの玉里だのという海岸山脈の温泉がある。
恐らくまだまだ発見されるだろう。
高木博士は、世界各国の例を見るに、
熱帯もしくは亜熱帯の植民地で成功したものは一つもないが、
台湾だけは成功していると説かれた。
しかし住んでみれば母国人にとって得難い楽土である。
この台湾が開発されたのは当然のことであろう。
但し年中寒さを知らない、永への春といった有り難すぎる土地に住み慣れては、
人間《寒冷地方内地人》に惰け癖が付きはしないかという心配がないでもない。
それも覚悟次第で本島人と称する在来の支那人はいずれもよくその生業に努力しているところを見れば、杞憂に過ぎないかも知れない。
領台以来これまで三十年内外となるが、
その当時からの在台内地人は概して立派になっているのみならず、
俸給者もまた愉快に暮らしているようである。
要するに台湾は好ましい土地だと言わねばならない。
(大正13年10月14日、台北にて)

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