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#17 宿題って意味ありますか?

 こんにちは。英語講師のふえです。
 「宿題」…嫌な響きじゃないですか?「夏休みの宿題」のその重さと言ったらもう…。夏休みなんて本当は嬉しいもののはずなのに、「宿題」という言葉のせいで… さながら、正の数と負の数を掛け算したようです。
 この「宿題」がどうしてこんなにネガティブな意味を持ってしまったのか、そして、ここまで嫌われる宿題に、果たして学習効果があるのか、考えていきます。
 なお、今回の記事では主に「学校で課される宿題」を取り扱っていきます。


宿題は効果があるのか?

 結論から言うと、宿題の効果は限定的だと考えています。ここで言う「効果」とは、「宿題を課された人が、意味を感じながら取り組み、自身の実力の向上を感じられること」です。

学習効果について考える前に。

 宿題代行業者というものが登場して、長期休暇シーズンにはニュースで取り上げられてたりしますね。他のことに夏休みの時間を使いたい方が利用するものです。「他のこと」には、単純に家族の時間を過ごしたいということもありますし、進学に向けて塾の勉強を頑張るということもあるようです。なぜ学校の宿題はここまで無価値と見なされるのでしょうか?
 学校には勉強が得意な人も苦手な人もいます。しかし、宿題は多くの場合、全員に同じものが課されます。担当の先生が相当な工夫をしない限り、その宿題は苦手な人には難しすぎ、得意な人には簡単すぎるものになってしまいます。そして、難しすぎる/簡単すぎる宿題は効果が薄いです。極端な話をすれば、昨日アルファベットを初めて習った子どもに英検1級の過去問を与えるとか、国文学の権威に小学生の漢字ドリルをやらせるとか…それに似たことが、実は学校の中では日常的に起きているわけです。意味を感じないから、やらない、答えを写す、代行業者に依頼するといった反応が出てくるわけです。

学習効果のある宿題とは

 前述の通り、難しすぎず簡単すぎず、適切な難易度設定が重要です。具体的には、今の実力ではほんの少し難しいくらい…正答率が6〜7割くらいが良いですね。30人いるクラスで同じプリントを宿題にした場合、この難易度設定に合致するのが果たして何人いるか…。(合致しなかった人がそのまま前段のような行動をとります。)
 ということで、理想的には生徒の学習状況に合わせて宿題の量や難易度は個別に調整されるべきです。同じ学年、同じクラスにいても、得意苦手は人それぞれですからね。

なぜこの現状があるのか

 これには2つの理由があります。ひとつは先生がそんなの考えてる暇がないから。もうひとつは不平不満を生むからです。

 昨今話題になっている通り、学校の先生は大変ブラックな環境で働いております(私の学校教員としての経験談もまた後日…)。例えば5つのクラスで授業を担当する場合、1クラスが30人とすると150人の生徒を受け持つことになります。その全員に個別最適な宿題を用意するのは、全くもって現実的ではありません。授業だけ受け持つ非常勤講師ですら、そんなことをしていたら体がいくつあっても足りないでしょう。
 この辺りは、デジタル教材の普及も手伝って、徐々に解決される兆しもあるかも…?でも、すぐには解決しないような。こういった状況を見て、個別指導塾やらコーチングやらが近年台頭しているのでしょう。

 さて、個別最適な宿題を用意できたとして、次なる問題が生じます。学校には成績評価がつきものです。成績がつかないということは、単位が認定されないということですから、進学はおろか、卒業すらできないわけです。その成績を出すときに、違う宿題をやっていた人が同じ土俵で評価されていいの?という疑問が生まれるわけですね。特に得意な人から「あいつはあんな簡単な宿題をやってるだけなのに」というクレームが出ることが容易に予想できます。
 どのような意図で違う宿題を出しているのか、何をどのように評価するのか、といった部分を丁寧に生徒・保護者に説明し、理解を得ることで、この問題はある程度解決できます。逆に、学校と教員が一丸となって取り組まなくては難しいでしょう。

あなたも宿題出してたんじゃないの?という読者の方へ

 自己紹介のnoteを読んでいただいた方はご存知の通り、私は元学校教員でもあります。宿題…もちろん出していました。それこそ最初は、その効果を深く考えることもありませんでしたが、一度退職し、非常勤講師になってからは下記の点を意識して宿題を出していました。

①その生徒自身に必要な内容であること
 私が出していた宿題のひとつは「教科書本文中の知らない単語を全て調べてくる」というものでした。新出単語に限らないことで、その生徒がわからないものは全て調べることになります。自分に足りない語彙を補う勉強ならば、意味を感じてもらえるのでは?と考えました。

②締切に厳正であること
 税金やカード料金の支払日、デートの約束、授業や仕事の開始時刻…世の中には絶対に遅れてはならないものがあり、その多くが、遅れると大変なことになります。しかし、なぜか学校の宿題は、遅れても提出すれば何とかなりします。私はそれではいけないと思い、無断で遅れた場合は、その提出は点数なしとするなど、締め切りに大変厳しくしていました。
 学校は勉強だけではなく、規範意識等も身につける場所です。期限には遅れてはいけない、というごく当たり前のことを生徒に意識づけをするようにしていました。

③ワークは答えを写しても良い
 上記のような理由もあり、ワークブックは「期日通りに」「空欄なく」できていれば、取り組み方は不問としていました。中には赤シートで隠しながら繰り返し解きたい人もいますからね。「自分にとって一番いいと思う使い方をしなさい」と指導をしていました。答えを写してもいいからこそ、遅れは厳禁です。

④自分でできることと授業でやることの区別をつける
 授業という場には先生や他の友達もいます。一方で、宿題をやるときは基本的にはひとりです。宿題では、単語調べなどのひとりでできること。授業ではペア活動や先生の説明など、ひとりではできないことをするという区別は、強く意識していました。

 私の出していた宿題が果たして最適な形だったかはわかりませんが、生徒との関係性づくりの中で、どれだけ納得感を持って取り組んでもらえるかは至上命題でしたし、そこについては他の先生方より強く意識して取り組んでいた自負があります。

改めて結論

 改めてですが、難易度の配慮なく一律で出される宿題は、実力と合致しないことが多く、そのターゲットに合わない人の学力向上にはあまり効果的ではありません。保護者の方や先生方が頭を悩ませる「子どもが宿題をやらない」という状況の裏には、その生徒だけでなく、出されている宿題の質に問題がある可能性もありますから、単純に子どもを叱るのは違いますね。
 現状の学校教育では難しいですが、個々の実力に合わせた宿題であれば、それは大きな効果を生むでしょう。

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