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夢は追うより旅をせよ?

『アルケミスト-夢を旅した少年-』を読んで

夢を追うよりも「旅をする」という表現が気に入り、そして、他人や環境との相互作用と、生きることそれ自体の面白さについて、かなり色々考えるきっかけになりました。
※一部ネタバレ可能性あり

夢を持ち、追うように教えられた子どもの頃

子供の頃、私は「将来の夢」というテーマの作文を書いたことを覚えています。最初は憧れの仮面ライダーについて書こうとしました。しかし、大人にそれは夢ではないと言われ、急遽お花屋さんについて書くことになったのです。

子供の頃は、「なりたいもの」や「将来の夢(職業)」、「やりたいこと」、「好きなこと」といったものは、後から得るもので、追い求めるものだという前提でした。

年を重ねるにつれ、まずは中学校を目指し、次は高校を目指し、その次は大学を目指し…特に高校生までは常に何かしらを追っていたような気がします。

失われた今、ここにいる自分の感覚

恐れを生み出すものとは

しかし実際にはどうでしょうか。私たちは他の人から与えられた正しさや憧れを追いかけているのではないでしょうか。

自分や夢、将来や未来は、自分自身に固有のものであり所有しているものだと思ってはないでしょうか。

私たちは、環境や他の人など私たちを取り巻くものによって形成されていますが、私自身は独自の存在であると思い込んでいたように思います。

私自身も他の誰かにとっての環境の一部なのだ、と、この本を読んで感じました。

夢や将来、未来は、自分に固有のものであり所有しているものではなく、それを追い求めることも自分だけでは実現できないことなのではないでしょうか。

縛っているのも自分。恐怖や執着心、嫉妬心が生まれるのは、すべてを自分に固有のものであると思ってしまうからかもしれません。

所有していると思うから失うことを恐れる

物語の主人公である少年が旅することを恐れる場面があります。恐れが生まれるのは、心が今まで持っていたと思っていたものを手放す可能性や傷つく可能性を恐れているからだと少年は旅の中で気が付きます。そして、少年は心の声に耳を傾け、夢を追求する勇気を得るのです。

少年の心の声は、環境(人も含む)と自分の関わりの中から生まれてくるのではないかと思います。生きること自体が環境との関わりでもありますが、働きかけて関わりに行くこともできるでしょう。

さらに少年は、死んだ人には代わりがいるということも目撃しました。それにより世界は期待しているほどには変わらないことを学びました。

ここからは、自分が所有する世界はない、とも読めるのではないでしょうか。もしくは、少年は、自分の働きかけや、生きていることそれだけで、必ず何かに関わっていることに気づいていないことを示唆しているのかもしれません。

なんだか『マトリックス』みたいですね笑。

自己責任論の無責任さ

固有、所有に関して、「罪はその人固有のものである」とか、「見た目や美しさも固有のものである」とか、「自己肯定感もその人自身の固有のものである」といった無責任な自己責任論が生まれてくる可能性もあるでしょう。

実際には、ほとんどの人が自分で選んだ自覚なく生まれてくるのに、自己責任など存在するでしょうか。

他者との関わりと共に進む旅に終わりはあるのか

終わりに

私はどうやら生かされていることの意味を必死に追い求める必要はないのではないかと思い始めています。人生はただ旅をしているだけで十分なのではないでしょうか。周りの人も同じように旅をしているのだから。

そして、生きること自体が夢であり、それを追い求めることもまた、旅の中で行われている。この本から、周りの環境や他の人と関わり合いながら生きているという、俯瞰した視点を自分なりの言葉にすることができました。

この本は、誰かにとってはただの冒険物語かもしれませんし、誰かにとってはバイブルになるかもしれません。私にとっては今まで感じてきたことを改めて色々な言葉や情景で考えさせられた本となりました。

人生は夢で、夢は人生で、それは旅である。空想の世界が大好きな私としては最高です!
旅、楽しそう。

以上

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