我が家のウルトラマン
CHOT FRESINO
「苦労は買ってでもしろ」というけれど、僕の座右の銘は「苦労は売ってでもしたくない」です。どうも、CHOT FRESINOです。
今なら出血大サービス、お値打ち価格でご提供致しますので、「ご苦労」の欲しい方、僕までご一報ください。
所詮、そんな格言は成功者の上からの発言だし、過去の記憶は美化されるのが世の常だ。
働きたくないし、出来ることなら誰にも咎められることなく好きなだけ寝てたいし、一日中読書に耽りたいし、好きな映画やドラマをビンジウォッチングしたい。
遊ぶだけで遊ぶ金稼ぐ(©︎KOHH)そんな風に生きたいと思ふ今日この頃。
面白き事もなき世を面白くしたいもんだ、モンダミン。
しかし、僕の想いとは裏腹に、なかなかに苦労の多い人生を送っていると思う。
まず、生家がいかん。それが苦労の始まりだった。
僕は母親が嫌いだ。
こうして文章にして書くと、なんだか少しセンチメンタルになるが、事実だからしょうがない。
母親が僕の苦労の元凶なのだ。
優しさの代名詞である「母親」は、すべてを受け入れ、優しく包み込んでくれるそんなイメージ。
"男は皆マザコンだ"なんて言われるけれど、とんでもナッスィング。
僕はお付き合いしている女性に、少しでも母親と"似ている部分"を見つけてしまうと、嫌悪感を抱いてしまい、途端に冷めてしまう。
これも母親による弊害の一つだ。
エディプスコンプレックスなんてモノは持ち合わせていないし、自分の父を殺し、母親と結婚したエディプス王の気持ちは全く受け入れられない。アンチ・オイディプス。
僕は母親が嫌いだが、母は僕のことを愛している…らしい。
しかし、その愛情は、どえらい入射角で、愛情を司る脳の中枢神経に入り、えげつない屈折を起こしている、"捻じ曲がった愛情"なのだ。
外国人である母は、母国柄なのか自分の子どものことを"所有物"のように思っている。
僕は母にとって、所有物だから、彼女の機嫌が悪いとストレス発散のため、暴力を振るわれたし、家事を物心がつく頃から手伝わされてきた。
小学校で配布されるチャイルドラインを握りしめて、一人枕を濡らした夜も数知れず…。
「母親は世界に1人しかいないからもっと大事にしろ!」
「産んであげた恩を忘れたんか、この恩知らずが!」
口を開けばこんな言葉が出てくる。
今でこそ「毒親」という言葉が一般に浸透しているが、まさにソレだ。
今日はそんな母親との、僕が思い出せるlong, long ago(1番昔)の記憶、思い出話をしたい。
その記憶は、理由は思い出せないが、僕たち男3人兄弟がエラく母親を怒らせてしまい、泣きじゃくりながら母親に謝っているシーンから始まる。
当時兄は小学校に上がりたて、僕は4〜5歳、弟は2歳くらいでようやく話せるようになったくらいだった。
鬼に金棒(意味は違う)よろしく、母親の右手には竹の棒が固く握られていて、鬼の形相だ。
母は、竹を4分の一カットした平たい棒でよく僕たちをシバいていた。
竹なのでよくしなるし、母は手加減の「て」の文字も知らないらしく、本気で叩くのでこれがまたイタい。叩かれた後は、いつも水ぶくれができた。
その棒も僕と兄が小学校高学年の時に、せめてもの復讐で、家の裏で燃やした。
母親と竹の棒で追い詰められた3人は、タンスの前でだんご三兄弟みたく3人縮こまってかたまり、必死に許しを乞うた。
しかし、完全に今しがた2〜3人殺して来たような血走った目をしている母は、許すはずもなく、
「…3発…1人3発ずつや。順番に出てこい!」
と、ヤクザの女将顔負けのドスの効いた声で言い放った。胴間声っていうんでしょうね。
しょーみ、どんなに悪いことをしたにせよ、年端もいない子どもを竹の棒でしばいていい理由などない。
「ごめんなさいぃぃ〜!!許して下さいぃ!!」
兄と僕は泣きながら懇願した。
しかし、その願いも届かず、
「早よ出ろ!!!!」
母は無慈悲に冷たく言う。
意を決し、兄がまず母の前に出た。
バシィッ‼︎バシィッ‼︎バシィッ‼︎・・・
号泣しながら、兄が戻って来た。
もう、兄が1発叩かれた時点で、次は僕なのでおしっこ全部漏らしながら、目や口、鼻、もう穴という穴から液体を垂れ流し、
「ゆるじぃでぐだざぃぃい〜〜!!!」
と気づくと声にならない声で1人叫んでいた。
しかし、母の気は変わることなく、諦めた僕は母の前に立ち、刑を執行された。
バシィッ‼︎バシィッ‼︎バシィッ‼︎・・・
これがほんまに痛いのだ。正直、今叩かれても普通にめっちゃ痛いと思うが、想像してほしい…まだ僕が4歳の時の話だ。
号泣しながら、兄と弟の間に戻った。
次は弟の番だ。可愛そうな弟…
正直、変わってあげれるなら変わってあげたいと思ったが、完全に僕のお尻が悲鳴をあげている…これ以上叩かれたら、お尻が4つに割れてしまうと思った僕は、目を伏せ静かに弟が叩かれるのを待った。
…それで終わりだ。
しかし、全然弟が母の前に出ようとしない…
おかしい…おかしいぞ!
2歳の弟はビビり過ぎるあまり、立てなくなったのかと思い弟の方に目をやると、
めちゃめちゃケロっとしていた。
…いつからだ…?いつから弟も僕たちと同じように泣いているんだと錯覚していた…?
まだ2歳だった弟は、状況を理解できていないらしく、右手に持ったウルトラマンの人形で遊んでいた。
…こいつメンタルえぐいな。
兄2人が目の前でシバかれて、めちゃめちゃ泣いてるのに、我関せずを突き通す弟…ふっ、大物なれよ…‼︎
これ以上、母の機嫌を損ねたくない僕と兄は弟を母に献上すべく、
「おい、次お前の番やぞ!早よ前出ろって!」
とまだヒリヒリと鋭く痛むお尻をさすりながら言った。
すると、弟は予想外の言葉を口にした。
「お兄ちゃんたち、こんな奴怖いん?
僕がやっつけたるわ!!」
…え!?日本語として弟の言葉は耳に入ってきたが、理解するのに3秒を要した。
やっつけてくれんの!?そんなんできるんやったら、お兄ちゃんが叩かれる前、いや、せめて僕が叩かれる前にやっつけてくれよ!!
と心の中で叫んだが、僕は藁にもすがる思いで弟を見つめた。
隣の兄を見ると、完全に兄も同じ気持ちらしく、期待の眼差しで弟を見ていた。
ちょ、ほんまにやっつけれんの!?僕も兄も無理やってんで?しかも、相手は大人やし武器も持ってる…到底敵うはずがないのは4歳の僕でも分かっていた。
…分かっていたのだが、弟のジャンヌダルクさながらの勇敢な立ち姿を見ると期待せざるを得なかったのだ。後光さえ見えてきた。
母は、竹の棒をパチパチと自分の手のひらに打ち付け、早く出てこいと言わんばかりに威圧している。
僕たちの期待を一身に受け、ついに弟が動いた…‼︎
弟は立ち上がると同時に、完璧なウルトラマンビームのポージングをし、母親に放った。
「ウルトラマンだ、ビーム‼︎」
痺れを切らしていた母は、ビームの「ム」を言い終わるか終わらんかくらいで食い気味に、尽かさず弟を3発シバいた。
「びぇぇえええ〜!!!」
もちろん、叩かれた弟は号泣。
ウルトラマンビームはゼットン(母)まで届かず、敢へ無く空中にかき消えた。
なんでビームやねん、せめてアイ・スラッガー(ウルトラマンセブンの必殺技)くらい出さなこの怪獣(母)は倒せないぞ、マイブロよ。
"ツッコミはタイミングが命"とはよく言ったもので、ほんまにええタイミングで、あまりにナイスなタイミングで母が叩くものだから、僕と兄は怒られているのを忘れ、笑いを堪えるのに必死だ。
しかし、弟の超絶ドヤった顔で「僕がやっつけたるわ」言うてた場面がリフレインし、余計に笑けてしまい、ついに爆笑してしまった。
デデ〜ン…CHOT FRESINO アウト〜‼︎
母の逆鱗に触れてしまい、もう1発ずつしばかれた。
…ほんまなんやねん…助けてくれるどころか、いらんことしてお陰で1発増えたやんけ…
しかし、その一瞬の場面に「怒り」・「癒し」・「笑い」・「涙」全てが見事な塩梅で詰まっている。
これが、僕が覚えてる中で、母との1番古い思い出だ。
〜完〜
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