「自分が食べられる量」って、どうしたらわかる?
#20240107-336
2024年1月7日(日)
もう「食べる食べる」詐欺といいたくなる。
「食べるから!」とせがんでは、ノコ(娘小4)は食べない。
「もうちょっとチョーダイ」
いくら食べ終えてからおかわりすればいいと説明しても、今、自分の器によそってほしいという。食べるのならばとよそっても食べはじめると、すぐノコの箸の動きが鈍くなる。辺りをきょろきょろと見まわし、ちっとも食事に集中しない。
「ママ、これもういらない」
くいっと箸で器を押しやる。
マナーとしてもそれはどうよ。
「ほかのは嫌。〇〇が食べたい」
長期休みの昼食は作るのも食べるのも手軽に済ませたい。前日の残り物から食べてほしいといっても譲らない。折れて作っても、数口のみ。
「やっぱりいらない」
「本当は〇〇嫌いなんだよね」
それなら、なぜわざわざ作らせる。買わせる。わからない。
試し行動やワガママではなく、そのときは本当に「食べたい」気分なのだろう。
それがいざ目の前に出されると、または食べはじめると、急に食欲が失せる。
――思っていた味と違う。
――さほど空腹ではない。
そんなところか。
散々繰り返されるのだから、私だって、むーくん(夫)だっていい加減わかる。
だからこそ、「食べおえてから」と説得するのに、ノコは「食べるから」といい張る。今までそういって食べなかったことのほうが圧倒的に多いのにも関わらず、頑としていい張る。
風邪を引いているノコが口をつけたものは食べたくない。
それに、ああ、そうなのだ、私たちはノコの「残飯処理係」ではないのだ。
私たちにだって、食べたい量がある。
小食のノコの皿には少ししか盛らない。
大皿料理だとノコが食べた量がわからないので避けていたが、残されて捨てるくらいなら、食べる量だけ取るほうがマシだ。ノコも私たちもストレスが減ると思った。
お米と汁物はよそう。
お肉や魚といったおかずやサラダは各自が取るようにした。
サラダは野菜ごとに洗った。ドレッシングも別添えにし、自分でかける。
「自分が食べられる量を取るんだよ。少しずつね。もっと食べたければ、また取ればいいんだからね」
ノコに念を押す。
今夜はきれいにたいらげることを期待して。
「わかった!」
ノコの返事はよい。返事はよいのだ。
世の中そんなに甘くない。
ノコもそんなに甘くない。
根本的に自分で食べられるだけの量をよそうという意味がわかっているのだろうか。
いや、そもそも自分が「食べられる量」がわからないのだ。
先に取り分けようが、大皿で取ろうが、「食べられる量」がわからないのだから仕方がない。
私がよそうのもダメ。
自分で取るのもダメ。
こうなりゃ!
わんこそば式で一口量をよそい、食べたらホイッとノコの皿に追加するようにしようか。
ホイッ、パクッ、ホイッ、パクッ、ホイッ……
忙しないこっちゃ。
気持ちよく食事するのって、こんなに難儀なことだっただろうか。
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