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娘の「怖さ」の基準。~漫画「ブラック・ジャック」~

#20240703-428

2024年7月3日(水)
 手塚治虫の漫画「ブラック・ジャック」。
 私が出会ったのは、小学生の頃。10ばかり年上の従姉いとこの部屋にあった。
 借りて読んだのだが、なんだか怖くて、怖いのに続きが読みたくて本を閉じられなかった。
 ――怖い? これは怖いの?
 そう自問した覚えがある。子どもの目に奇異に映る病は描かれていたが、お化けや妖怪が出てくるわけではない。人の想いのからみはあっても、怪談話に出てくる呪いや恨みが出てくるわけではない。
 怖いと思うのだが、子ども心に何が怖いのか今ひとつわからなかった
 漠然とした正体のわからない怖さに向き合いながら読み進めた。
 従姉の部屋の片隅で。
 まるで隠れるように息をひそめて。
 大人になって全巻そろえた。
 結婚して実家を出るときにも持って出た。段ボール箱に入れたままだが、手放したくはない。
 いつか、誰かに読ませたい。
 読み継いでほしい、と思った。

 最近になって、ノコ(娘小5)が漫画「名探偵コナン」を読むようになった。
 大好きなTVテレビであってもアニメだろうが、実写ドラマであろうが、血や殺人事件をノコはひどく怖がる。確かに生命の危機につながる恐ろしいものだが、そうなると娯楽として提供されているホラーはもちろんサスペンスもノコが起きている時間帯には見られない。
 幼くて就寝が早い頃はよかったが、学年が上がるにつれ、ノコの就寝時刻も遅くなる。遅くまで起きていたがる。大人の時間がどんどんノコに浸食されていく。
 ようやく「名探偵コナン」を楽しめるようになった。
 ノコは漫画への貪欲さが増し、漫画が並んだ私の本棚を虎視眈々と狙うようになった。
 「ママママ、ママママ、なんか漫画貸して」
 あまのじゃくなところがあるノコは、強くオススメすると避けることがある。
 あくまで、さりげなく、さりげなくいってみる。
 「うーん、これはまだノコさんには難しいかなぁ。怖くて読めないかもなぁ」
 そういいながら、段ボール箱から秘蔵の「ブラック・ジャック」を取り出す。ちろりとノコを見やってから箱に戻そうとすると、ノコが食いつく。
 「大丈夫だし! 読みたいし!」
 私の腕にしがみつき、ぐいぐいと引っ張る。
 「ママ、子どもの頃にはじめて読んだとき、怖かったけどなぁ」
 「大丈夫だから。それ、貸して!」
 さて、どうだろう。
 怖くて早々に返すだろうか。
 怖くはなくとも、意味がわからずつまらなく感じるだろうか。
 同じものであっても、出会うタイミングによってとらえ方が違う。
 年齢、環境、心の状態。世の中にはおもしろいものであふれている。適切なときに適切なものと引き合わせてやりたいと思うが、それを見極めるのが難しい。

 「ママママ、ママママ、帰ったらさ、続き貸してよ」
 習い事からの帰り道。自転車のペダルをまわしながら、ノコがいう。
 関東も梅雨入りし、日中は蒸し暑い日が続いているが、日が沈めばまだ過ごしやすい。
 「なぁに? どれの話?」
 今までノコに貸した漫画はいくつかある。
 「ブラック・ジャック!
 「怖くなかったの?」
 バス通りから住宅街に入った途端、さまざまな暮らしが鼻に届く。魚を焼く匂い、こちらはカレー。それから、むわっとした湯気とともに石けんの香り。
 「怖くないよぉー」
 ノコが笑う。
 「だって、コナンは1つのお話で誰か1人は死ぬけど、ブラックジャックは違うじゃん」
 私には怖さなら「ブラック・ジャック」のほうが断然勝る。ノコはまだ血や死体の描写でしか恐怖をはかれないのだろう。「ブラック・ジャック」をどこまでわかって読んでいるのか――言葉まわしもノコには難しい部分も多い――怪しいが、続きを読みたがるということは何か心に「引っ掛かるもの」があったのか。
 「ブラックジャック見たい! ブラックジャック見たい!」
 節を付けてノコが繰り返す。
 「ねーねー、ママのブラ・ジャ見せてよー!」
 ペダルを踏む足から力が抜ける。まるで下着のブラジャーに聞こえてしまう。夜の住宅街で叫ぶ単語ではない。
 「ちょっと、『ブラック・ジャック』をそんなふうに略さない! いうなら『BJ』!」
 自分が何を口にしたのか理解したらしく、ノコがケタケタと甲高い声で笑った。

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