気をもんで心配していたのが馬鹿らしくなるけれど。それもまた子どもの成長。
#20240424-389
2024年4月24日(水)
雨の一日。
天気予報を見れば、朝から夜まで雨マークが並んでいる。
ノコ(娘小5)の習い事も今日は自転車ではなく、バスで行かねばならない。
家を出るまで学校の宿題を1問でも進めてほしいのに、ノコは今日の出来事を喋っている。
うん、それも大事。
嬉しかったことも、悔しかったことも、話したいよね。
そう思うものの、どうしても壁掛け時計に目が行ってしまう。
来月は学校行事が目白押しだ。海辺にある施設での1泊旅行に、運動会。それに伴い、班決めや係決めなどが続いている。なんせそれによっては、行事が楽しみになるか、ならないか。子どもにとっては重要事項である。
宿題を広げたものの、手よりも口のほうが忙しい。結局、たいして進まないまま、出発時刻になってしまった。
4月も下旬。
日は延びてきたが、今日は雨のせいで外は暗い。
本日の習い事待機時間は、1時間半。読書をメインにしようとバッグに本を入れる。
「バス停まででいいんじゃないか」
仕事から帰ったむーくん(夫)がいった。
「せっかくGPSを買って持たせたのにさ。送迎してるんじゃ、意味ないよ」
今月頭にそろそろノコにも1人で通う練習をさせようと、手はじめにGPSを購入した。ランドセルや習い事用のリュックに忍ばせ、動作確認は済んでいる。
「ノコさん、バスに乗るまではついていくけど、今日は1人で行ってみる?」
渋るかと思ったが、ノコはあっさりうなずいた。
「うん、1人で行く」
「帰りは夜だから習い事先までお迎えに行くね。ただ雨だから、バスが遅れるかもしれない。ママがいなかった場合は、いつも通るところを歩いてバス停に向かってね。そうでないとすれ違っちゃうから」
往路はむーくんが付き添うという。
雨でバスが遅延している。バス会社のWebサイトでバスの位置を確認しながら家を出るタイミングをはかる。
「じゃあ、帰りは迎えに行くからね」
ノコはにんまり笑うと、むーくんとともに雨のなかを出て行った。
まぁ、きっと、大丈夫。
日頃から車で送迎されている子どもならともかく、車のない我が家は公共交通機関には乗り慣れている。たとえ親の後ろをついて歩くだけで周りに注意を払っていなくても、降車ボタンを押すのをためらったり、ICカードのタッチを忘れたりすることはない。
腕時計をつけずに出たので、バスが遅れて習い事に遅刻するかもと慌てることもない。
ほんのちょっぴりの冒険。
私はスマートフォンのGPS用アプリを立ち上げて、ノコの位置を確認する。
バスに乗ったのか、地図上のノコが下校時の徒歩とは違う速度で移動しはじめた。
送迎のために家事を前倒しでするので、家を出るまではバタバタと忙しいが、待機中は反対になにもできない。ある意味、純粋な「私時間」である。
今日は直前まで送迎するつもりでいたため、家事は済んでいる。
バス停から戻ったむーくんがTVをつけた。
ノコの宿題が終らない限り、つけることができないので奇妙な感じすらする。
なんだか、気が抜ける。
本がTVに化けてしまった。たまっている録画番組を消化するのも大事といえば大事か。
バスがさほど遅れなかったため、習い事先まで迎えに行った。
心細くなかったか。
GPSで遅刻はしなかったことはわかっているが、夕暮れの雨の街を何事もなく歩けたのか。
どんな顔をして、ノコは習い事先から出てくるだろうか。
私の姿を見付けて、安堵するノコを思い浮かべる。
ドアが開き、子どもたちが出てくる。
1人2人…… ノコだ。
ノコの唇がむにゅうと尖った。
「ママ、バス停で待ってるっていったじゃん」
睨んでる。睨んでる。
「バスが遅れたら、っていったよ。そうでなければ、心配だもん、ここまで迎えにくるよ」
「バス停まで1人で行きたかった」
私を見付け、パアッと顔を明るくさせて駆け寄るノコはいなかった。こういった予想はたいてい外れる。
あれこれと気をもんでいたのが馬鹿らしくなるが、これもまた成長。
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