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フロイスと歩む京都キリシタンの旅

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今日、ルイスフロイスらの生活の痕跡を知るのはとても困難です。京都は開発も進み古い謂れのある遺物も現地を見に行くと無残に重機が入っていることもあります。 それではもはや何も残されて… もっと読む
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はじめに

   京都近郊のルイスフロイスの歩みを知る場所や遺物を掘り起こします。「フロイス日本史」…

京都にゆかりのある主要人物履歴書

最初に最重要人物の名前を覚えておいてください。(あいうえお順) 川崎桃太(1915年-2019年…

1.ガスパルヴィレラによる布教開始

  京都における布教開始 :  ザビエルは戦乱で荒れ果てた京都と貧しい食事、底冷えの寒さ…

2.南蛮寺跡地

 ヴィレラが古い家屋付きの土地を買うとそこが以後約15年間の布教の根拠地となった。やがて経…

3.南蛮寺の遺物

 1576年に聖堂が落成し都の名所として話題となったが、この南蛮寺が確かにあったことを示す遺…

4.恩人、和田惟政と高槻

 政情が不安定となり、京都での生活が安全ではなくなると、フロイスは堺に逃れていた。和田惟…

5.田原レイマンの墓石

四条畷市立歴史民俗資料館所蔵 無料 (月曜と年末年始 他に長期休館期間ありHP要確認)   2002年、四条畷市田原台田原城跡の隣接地域で、田原氏の菩提寺だった千光寺跡(田原城の北400m)の発掘調査が行われた。作業中に墓石が出土したが、石には「天正九年(1581年)辛巳(かのとみ)礼幡(レイマン) 八月七日」と刻まれていた。1575年のフロイス書簡に、相国寺の織田信長を表敬訪問した河内のキリシタン武士「田原レイマン」の名を記録しており、名前が一致していることがわかっ

6.信長の二条城

 和田惟政、佐久間信盛らの尽力でフロイスらが京都に戻ると、二条城の工事現場に信長と会見し…

7.フロイスの京都見物

 「フロイス日本史」五畿内篇Ⅰ第19章では京都観光の記事が詳述される。見物で訪れるべき名所…

8.草津で発見されたメダリオン

安土考古博物館所蔵 (16世紀から17世紀頃?)  11.3㎝×7.2㎝の青銅製。握りこぶし小程度…

9.細川ガラシヤの丹後味土野女城伝説

 本能寺の変が起こると、細川玉子(後のガラシヤ)(1563年-1600年8月25日)は「みどの」で隠…

10.越中井

:大阪市中央区森ノ宮中央2丁目12番 (森ノ宮駅から徒歩5分)  大阪玉造の細川越中守忠興…

11. 細川ガラシヤの受洗と監禁生活

  細川玉(ガラシア)の受洗  家から一歩も外に出られない玉は侍女からもたらされる新しい教…

12. ガラシヤの墓

:高桐院 今宮門前通り側の塔頭 500円 常時公開 9:00~16:20 不定休  細川忠興が1602年に建立し大徳寺高桐院に、83歳まで生きた忠興自ら墓標に指定したといわれる忠興と細川ガラシヤの墓がある。墓石は一つの灯籠石で、それが2人の墓を意味しているという。なぜ灯籠石なのかはよくわからない。  洗礼名”ガラシヤ”を名乗る細川玉は、おそらくは堺のキリシタン墓地に眠っていたいだろう。しかし、夫は禁教になるとそれを許さず、数カ所の仏教寺院に”ガラシヤ”の墓石を造った。堺のキ