12. ガラシヤの墓

高桐院 今宮門前通り側の塔頭 500円 常時公開 9:00~16:20 不定休

 細川忠興が1602年に建立し大徳寺高桐院に、83歳まで生きた忠興自ら墓標に指定したといわれる忠興と細川ガラシヤの墓がある。墓石は一つの灯籠石で、それが2人の墓を意味しているという。なぜ灯籠石なのかはよくわからない。
 洗礼名”ガラシヤ”を名乗る細川玉は、おそらくは堺のキリシタン墓地に眠っていたいだろう。しかし、夫は禁教になるとそれを許さず、数カ所の仏教寺院に”ガラシヤ”の墓石を造った。堺のキリシタン墓地の現在の場所は不明である。

画像1

 

   あぶり餅
 大徳寺まで来たら、今宮神社に足を伸ばして、あぶり餅を食べよう。道を挟んだ2軒のお店。値段は同じだが、北側の「一文字屋和輔」(いちもんじやわすけ)が個人的なお薦め。

画像2



  ”ガラシヤ”の意味
 洗礼名は一般に過去の聖人の名前であるが、なぜ、”神の恵み”(ラテン語gratia)なのだろうか。「珠のような子どもに恵まれた」夫婦の喜びが明智玉の名前には既に込められているが、国外退去を命ぜられた司祭は、残していくことになる侍女頭の清原いと(マリア)と明智玉の2人に祈りを込めて、アベマリアの祈りの言葉Ave Maria, gratia plena,...から「gratia」を選んだという仮説を推したい。当時の外来語は、グはガに訛る。例:グラス→ガラス。ひらがなで表記して、当時は名字は名乗らないので「からしやたま」。当時からたま以外にも同じ洗礼名「からしや」のキリシタンは複数いたことがわかっている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?