2.南蛮寺跡地

 ヴィレラが古い家屋付きの土地を買うとそこが以後約15年間の布教の根拠地となった。やがて経年の変化で次第に家屋の老朽化は進み風が吹くと倒壊の危険があるほどになったので、1576年、フロイスが44歳のとき、ここに新聖堂が落成した。その後1587年の追放令により取り壊されることになる。(五畿内篇Ⅰ第9章)


画像1

  南蛮寺跡:京都市中京区蛸薬師通室町西姥柳(うばやなぎ)町

 ここは京都市による看板が立っているだけで通り過ぎてしまいどこに看板があるのか迷うことになる。海外から訪ねてくる人向けに英語の説明文も丁寧に付いているが非常に寂れた印象を受ける。WEB上には昭和45年頃(?)の写真(下)も残っていたが、現在(2021年)の写真に向けて次第に風化が進んでいるように思う。祇園祭の山鉾を運営する結束の固い民衆たちの暮らす中に南蛮寺もあったことは注目される。

画像2

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?