8.草津で発見されたメダリオン

安土考古博物館所蔵 (16世紀から17世紀頃?)

 11.3㎝×7.2㎝の青銅製。握りこぶし小程度。1965年頃、滋賀県草津市内の草川家旧蔵で発見された。家の改築のため仏壇の阿弥陀如来を移そうとした時、台座の隙間から布で包まれたメダリオンが出てきたという。
 マリアが三日月に乗って合掌している図で、頭上には7つの星、背後には太陽の光を表すギザギザ模様が配されている。同じ型は長崎県内に3点、金沢で発見されたものが大阪の南蛮文化館に1点、東京国立博物館に1点が収蔵されているという。

 2019年に安土考古博物館に寄贈された。南無阿弥陀仏の布(下)に包まれて保存されてきたということなのだろう。首から下げるには大き過ぎる。新聞には「隠れキリシタンの遺物」と紹介されたが「隠れ」かどうかまでは、わからない。ガラス越しで見てもよくわからないが、向かって右下は欠損しており、紙で補修されている。屋内で大切に隠して保存していたのなら、金属が腐食してこぼれ落ちることはないはずである。野に打ち捨てられていた時期があったにちがいない。そして、保存状態は良くない状態で、おそらくは土中から発見して丁寧に紙で補修し、佛の布に包んで大切に保管したのだろう。それには仏壇の補修技術は用いられた可能性も考えられる。木製の漆器や陶磁器もかけたり割れたりしても補修する技術が発達しており使い捨てではなかった。その人物たちには、歴史も文化も途絶えた後のことでそれが「隠す」べきものという意識も既になかったのではないだろうか。

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(1)安土考古博物館と安土城跡
(2)安土セミナリオ跡
(3)近江永原と永原御殿跡

 安土考古博物館 入館料500円。駅からレンタサイクル2時間500円。JR安土駅には、新快速は止まらない。駅から山裾に博物館が見えるが、歩くには遠く単調に過ぎる。駅のインフォメーションに地図がある。安土城跡はJR線路から見える湖側の山裾。城下町の痕跡は全く消失しており、セミナリオ跡の真新しい石碑は、自転車で探すことになるが、本当にそこなのか疑問が湧くほど。2時間で回れる。

 安土のセミナリオ イエズス会巡察師ヴァリニャーノ(1579年-1582年初回訪日)は、日本で教えを広めるためには、日本人司祭による布教が最良の道であると考えた。信長から安土城下に土地を譲り受けて1580年セミナリヨが建立される。
 3階建てで、1階には茶室がついた座敷、2階には神父の居室、3階には教室と生徒の寮があり、三方は石垣で囲まれていた。日本語、キリスト教教理、ラテン語、音楽などを教え、秀才の武家の少年たちが集められここで教育が開始された。(五畿内篇Ⅲ第47章)
 しかし、セミナリヨと城下町は織田方が自ら火を放ち、安土城炎上の際にすべてが焼失した。残された安土城下の建築資材は、豊臣秀次が近江八幡城下を造るときに再利用したと考えられるから、安土には昔を偲ぶものはなにも残されていない。

 近江永原(滋賀県野洲市)
 徳川将軍が上洛の際に利用する宿泊所であった「永原御殿跡」が今も残っているが、荒木村重の謀反の折に領地を失ったサンチョ三箇はここに追放されて後、熱心に宣教を行い、信者が増えたという。近江にも多くの信徒がいたことを知るランドマーク。草津から近江永原は、近江永原から安土と同じぐらい離れて遠い。メダリオンが草津で発見された理由について何らかの具体的な関連を近江の歴史から想像するのは難しい。


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