6.信長の二条城


 和田惟政、佐久間信盛らの尽力でフロイスらが京都に戻ると、二条城の工事現場に信長と会見し、布教の許可状を得る。その日、信長は自ら屋外で突貫工事の指揮をしていたが、フロイスらに暑いから帽子を被るように云い、約2時間懇談した。このとき、通りがかりの女性を執拗にからかう労働者のもとに信長は駆け下りると、無言で刀を振るい首を切り落とした。


(1)旧二条城跡と聖アグネス教会
(2)須美壽記念禮拜堂


  旧二条城跡と聖アグネス教会 :京都市上京区烏丸下立売角

 烏丸下立売の角には1898年(明治31年)に竣工したレンガ造りゴシック建築の聖アグネス教会(京都市指定有形文化財)がある。ジェームズガーディナー設計。随時(男性も)中に入ることができる。聖アグネス教会は、日本聖公会京都教区。日本聖公会の社会的事業では平安女学院の他、桃山学院、聖ルカ国際病院など数多い。

 旧二条城は現在の御所の西側にあり、教会のある下立売の角を西に入り、隣接する平安女学院校舎の北西角に石碑がある。信長が建設していた二条城がこの付近一帯であったことが解説板には図示されている。また、現在の徳川幕府の二条城、西側最奥のトイレ近くに旧二条城の石垣が保存されている。ただ、保存状態はよくない。

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  須美壽(スミス)記念禮拜堂(彦根)

 京都とフロイスから話題は逸れるが、日本聖公会に関連して「スミス記念堂」についても紹介しておきたい。昭和6年に日本聖公会の牧師で彦根高商の英語教師であった、パーシーアルメリンスミスは、宮大工の宮川庄助と彦根城の堀近くに「須美壽(スミス)記念禮拜堂」を建設した。彦根城と景観の調和がとれた宮造りで、葡萄の蔓の巻き付いた十字架や鳩、松竹梅の文様が、彫り込まれた和風教会堂だった。

「施主である外国人宣教師の強い意志で和風意匠が採用された。それは単なる日本趣味だけでなく、日本人にとってのキリスト教という問題に対する彼らの解答であり理想であった。彼らは企画者・施主として、始終工事に立ち会い、折に触れ施工者に設計意図を伝えて建設が進められた。」(松波秀子)

 この稀有で芸術性の高い建築は、平成8年の道路拡幅工事により破壊される運命にあったが、直前に、市民や滋賀大学有志の活動で解体保存され、廃材を譲り受けたNPOにより平成19年に移築された。平成23年にようやく景観重要建造物に指定された。(期間限定公開)

 木材には防腐処理が必要になってきている。滋賀県の寺社の扉や、祭りの曳山の木彫、古い商家についても、保存は限界にきており、風化を止める意思が必要である。キシラデコールを浸透させるのが良いのか、樹脂で固化させるのが良いのか、議論すべきときに来ている。


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