1.ガスパルヴィレラによる布教開始

  京都における布教開始 :
 ザビエルは戦乱で荒れ果てた京都と貧しい食事、底冷えの寒さに布教を諦めて山口へ引き返していった。その後、ポルトガル人カトリック司祭のガスパルヴィレラは、1559年、京都に入り布教を開始した。異国人には借りる物置小屋もなく過酷な環境のなか転居を繰り返した。

 1559年12月から翌年1月までのガスパル・ヴィレラの居住地がわかっている(ヴィレラ住居跡:京都市中京区六角通室町西入る玉蔵町。石碑や看板はなく当時を類推できるランドマークは現在なにもない。後述する「南蛮寺」や「だいうすの町」はこの近隣にある。
 「仏教は、禅宗、浄土宗、法華宗、天台宗と宗派が分かれ、それぞれ別の宗教と言えるほど教えは異なり、そして対立していたから、自分たちが入り込む余地があった。」とフロイスは邂述した。

   

  ヴィレラの住居 
 床の半分は裸の土であり、周囲の壁はただ芦(あし)が括り付けてあるだけであったので小屋の中には風が入り、寒さから身を守るすべもなかった。そこには絶えず小石や馬糞が投げつけられたので、休息をとることすらできない状況であった。

 「彼ら(仏僧たち)は改宗が進行すると…何にも増して案じたのは自分たちが生計および生活の拠り所としている民衆の好意を失ってしまうことを恐れた…」

五畿内篇 第7章


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