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阿呆につける薬 【オンガク猫団コラムvol.36】

オイラは、選挙に行くのが好きである。実は投票すること自体は、それほど好きじゃない。じゃあ何が好きかっていうと、投票所の学校内にズカズカと入れることが好きなのだ。母校でもなんでもないから一切の感傷はないのだけど、学校という日頃近づくことを許されない不可侵でミステリアスなタブーエリアに正々堂々と入れる権利を有する非日常性に、奇妙な感興をそそられるのだと思う。ま、学校なんて入ったところで、大したこたぁねえーのだが。

池田小事件以降、学校という学校は不審者に対して過剰な防衛をするようになった気がする。早朝から校門前に警官が立って目を光らせている。確かに物騒な時代になった。そういえば前回選挙があったとき、うっかり老眼鏡を失念してしまい投票用紙に記入するときに往生してしまった。そのことを踏まえて、今回は抜かりなく老眼鏡を携帯していったのだけど、投票所の入り口のドアに老眼鏡を貸し出してある、という張り紙をみつけて愕然とした。なんだ、そうだったのかよ。でも、まあ自分に合った度数のメガネは必須だから持って行くことに間違いはない。それにしても日の出の勢いで悪化に拍車がかかっている、我が老眼にはホトホト困ったものである。

今回、出口調査というのを初めて見かけた気がする。いや今までだって出口調査員はいたのかも知れないが、ちゃんと意識して見ていなかっただけ、ということかも知れない。大学生くらいの年齢に見受けられる若い男と女の二人組が、某公営放送の腕章を付け、投票所の前に怖ず怖ずと立っていた。オイラが投票に行ったのが昼前で、夕方散歩へ出かけると調査員の彼らは、投票場の前にある公園のベンチでならんで座り、集計作業のようなことをやっていた。それは、春と秋には熱々のカップルが、夜な夜ないちゃつくベンチである。虫よけスプレーしてあるなら安心なのだけど、彼らが蚊に刺されていないことを祈るばかりだ。あの手のバイトも結構しんどいんだろうなあ。

投票を終えて、校門前にある小さな池でクサガメと鯉をぼんやり眺めた後、年甲斐もなく半分埋め込んであるカラータイヤ群をピョンピョンとジャンプしてしまった。股関節が固くなっているせいか、自分の頭のイメージと飛べる力量が恐ろしほど一致していない。老化というのは、ボディ・マッピングが崩壊していくことなんだな、と痛感する。その後で駅前の小さな本屋に行った。気になっている本を物色しにいったのである。ついでに最近、学参が目覚ましい進歩を遂げているという情報を耳にして、実際に確認したくなったのだった。オイラの仕事とも多少は関係があるので、印刷物をチェックするという行為はある種の職務ともいえる。因果な商売だ。

目まぐるしい進歩というのは、学習のし易さの追求ということらしい。実際、コミックやニコ動やyoutubeのような日頃動画に親しんでいる世代にシンパシーがある構成になっていて、開いた口がふさがらなかった。学生時代、目に一丁字なしのオイラは、勉強は好きじゃなかったのだけど、50歳を過ぎて「こりゃ買ってもいいかも」なんて思える編集内容に仕上がっていた。でもやっぱり買わないが、ブックオフで投げ売りで陳列されていたら、つい出来心で買ってしまうかも知れない。知識というのは(忘却したら元も子もないが)、所有した方がお徳であるに決まっている。卑怯だろうとイカサマだろうと、インプットした者の勝ちだ。

学参コーナーの渉猟のついでに、よく見かける山川から出ている社会の用語集を手にとって見た。学生時代オイラは殆ど「社会」に縁がなかったのでその膨大な用語数に思わず立ち竦む。勉強の出来なさもさることながら、オイラは暗記物が極端に苦手である。英単語なんぞはもってのほかだ。体力の低下はモチロンだが、お粗末なオイラの暗記力の低下が著しい。物忘れがあまりに度を越していて、痴呆にリーチがかかってんじゃないかと思えることしばしばだ。忘れてしまうことに、オプティミスティックになれればいいのだが、それじゃあ困ることも多々あって、少々頭の痛い話ではある。

さて、頭が痛い、といえばオイラは20代の終わりくらいから「閃輝暗点」という持病を抱えてしまったのである。病気の詳細はオミットしちゃうけど(興味のある方は後ほどディグっといてください)とにかく酷い頭痛になる。突発的に持病の波がやってきて、発作が収まればラクになるため、特に病院に行くということはしなかった。ところがある年、頻繁にそれが襲ってきて仕事どころじゃなくなってしまったのである。そこで初めて病院に見てもらうと、閃輝暗点という病名を明かされることなく「偏頭痛」というありきたりな診断が下される。発作が収まれば問題ないということであれば、特に策を講じる必要もない、ドクターはそう告げた。冗談じゃない、突然往来や階段で昇降している最中に発作が起こったらアウトですんで、なんとかなりませんか、と食い下がった。するとしぶしぶ「カフェルゴット」という薬を処方される。

その薬を頓服として常時持ち歩いていることで安心したのが奏功したのか、病院に行ってから数年間、何故か持病の発作が起きなかった。結局薬の耐用年数がオーバーしてしまい一度も服用せずにピルケースから取り出して廃棄してしまったのである。後で分かったことだけど、カフェルゴットは、覚せい剤の成分を含有しているらしく国内では販売中止になったらしい。効き目の切れた薬を持っててもしゃーないが、なんとなく捨てなきゃ良かったかな、なんて背徳感混じりの後悔の念に駆られてしまった。

販売中止になったものといえば、かつて薬局で売られていた入浴剤で「610ハップ」というのがある。滅茶苦茶に硫黄の匂いがして、我が家の風呂が湯けむり薫る温泉のような様相を呈す。換気をしないとちょっとヤバイ感じになる。実際、名湯に負けずとも劣らない諸々の効能はあったようなのだ。ただ、惜しむらくは硫化ガスを発生させるということで、自殺で使われることが多くなったのだとか。その事情もあって現在は現存する商品のみがネットで流通しているらしい。

薬による死といえば、薬殺刑という刑罰がある。囚人に致死量の薬物を注射して執行される死刑だ。2016年5月、米製薬大手のファイザーは「死刑執行に用いる薬物は販売しない」と発表したらしい。ネットの伝聞によると、彼らの言い分はこうである。「ファイザーは患者の命と健康のために製品を作っており、それが死刑の執行に使用されることに強く抗議する」と。なんだか話があらぬ方向にいってしまった。オイラとしては、記憶力が増進する薬が何よりも欲しい、と思う今日この頃なのである。

オンガク猫団(挿絵:髙田 ナッツ)

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