二重川統光

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二重川統光

僭フランツ・ヨーゼフ帝/二重帝国の人https://twitter.com/frantuyozehu 論考や書評などを載せていきます。

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記事一覧

臣と民の魔合体 「臣民」の言説史

はじめに  明治憲法では日本国民は「臣民」とされ、明治天皇は教育勅語で日本人に親しく「我が臣民」と呼びかけた。ところで、「臣民」とは、奇妙な言葉ではないか。本来…

二重川統光
2週間前
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湯川椋太「「皇国史観」と「祖国のために死ぬこと」 : 平泉澄の「神道」について」について

はじめに 湯川椋太(敬称略。以下同じ)の論文「「皇国史観」と「祖国のために死ぬこと」 : 平泉澄の「神道」について」(龍谷日本史研究/龍谷大学日本史学研究会『龍谷…

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二重川統光
1か月前
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不敬なる親愛? ――昭和における「天ちゃん」呼称について

ナレーター「天皇陛下、縮めて「天ちゃん」。この国の不思議な不思議な象徴。歴史、文学、思想、政治の至るところで、その姿を見ることができる」  畏れ多くも天皇陛下を…

二重川統光
2か月前
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平泉澄に猛省を促した高僧 或いは人格攻撃

 「平泉澄氏の猛省を促す」という強烈なタイトルの論文が『大日』(大日社)1939年10月号に掲載された。筆者の村上素道(西暦1875~1964年)は曹洞宗の僧侶で、長崎の皓台…

二重川統光
3か月前
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道鏡を肯定する? 喜田貞吉『日本歴史物語』における「日本民族」観と皇位窺窬者の間接的肯定

はじめに 日本の歴史上、臣下の身でありながら、皇位を窺ったり、新皇を自称する不届き者が現れたのは周知の通りである。そのような「不届き者」は、系図を遡れば皇室の…

二重川統光
4か月前
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「肇国」と「建国」の相剋/『國體の本義』・中村直勝・上田又次

はじめに 戦時中、「肇国の精神」「肇国の大精神」という言葉が頻繁に使われた。意味はよくわからないが、何か深い意味がありそうで凄そうな言葉である。それがどんな「…

二重川統光
5か月前
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"英国護持"と"皇国護持"の距離/上田又次『エドモンド・バーク研究』

 同時代に起きたフランス革命を批判する論陣を張った英国の政治家・思想家エドマンド・バークは、「保守主義の父」と称され、日本では明治時代に受容された。明治には自由…

二重川統光
6か月前
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臣と民の魔合体 「臣民」の言説史

臣と民の魔合体 「臣民」の言説史

はじめに
 明治憲法では日本国民は「臣民」とされ、明治天皇は教育勅語で日本人に親しく「我が臣民」と呼びかけた。ところで、「臣民」とは、奇妙な言葉ではないか。本来、違うものであるはずの「臣」と「民」、いわば家「臣」と「民」衆を一つに合体させた熟語だからだ。しかし、この独特な言葉は、旧憲法にも書かれれば、全国民が心に刻み込むべき道徳たる教育勅語にも記され、日本人の間に浸透した。第二次世界大戦敗戦後の紆

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湯川椋太「「皇国史観」と「祖国のために死ぬこと」 : 平泉澄の「神道」について」について

湯川椋太「「皇国史観」と「祖国のために死ぬこと」 : 平泉澄の「神道」について」について


はじめに 湯川椋太(敬称略。以下同じ)の論文「「皇国史観」と「祖国のために死ぬこと」 : 平泉澄の「神道」について」(龍谷日本史研究/龍谷大学日本史学研究会『龍谷日本史研究』運営委員会 編. (42):2019.3,p.44-74.)は、歴史学者・平泉澄の言説の中で「祖国」観念が「死の言説」に「倒錯」することについて論じたものである。昆野伸幸の平泉研究を基本ベースとしつつ、国家概念に関するピエー

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不敬なる親愛? ――昭和における「天ちゃん」呼称について

不敬なる親愛? ――昭和における「天ちゃん」呼称について

ナレーター「天皇陛下、縮めて「天ちゃん」。この国の不思議な不思議な象徴。歴史、文学、思想、政治の至るところで、その姿を見ることができる」

 畏れ多くも天皇陛下を「天ちゃん」呼ばわりするとは何事かッ! とぶん殴られそうな、「天ちゃん」という呼び方。これは戦前から存在した。公式の場で言ったり活字にしたりはできないが、人々の会話の中で散見された言葉で、戦後になってようやく活字の上に現れる。
 論説や文

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平泉澄に猛省を促した高僧 或いは人格攻撃

平泉澄に猛省を促した高僧 或いは人格攻撃

 「平泉澄氏の猛省を促す」という強烈なタイトルの論文が『大日』(大日社)1939年10月号に掲載された。筆者の村上素道(西暦1875~1964年)は曹洞宗の僧侶で、長崎の皓台寺住持である。「実に師が十年一日の如く教運の興隆に力めるの功労は著しく、徳聞日に弥々高し」(現代仏教家人名辞典刊行会編『現代仏教家人名事典』現代仏教家人名辞典刊行会、1917年。331頁)とある高僧だ。猛省を促されている平泉澄

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道鏡を肯定する? 喜田貞吉『日本歴史物語』における「日本民族」観と皇位窺窬者の間接的肯定

道鏡を肯定する? 喜田貞吉『日本歴史物語』における「日本民族」観と皇位窺窬者の間接的肯定


はじめに 日本の歴史上、臣下の身でありながら、皇位を窺ったり、新皇を自称する不届き者が現れたのは周知の通りである。そのような「不届き者」は、系図を遡れば皇室の末裔であるとはいえ、天皇中心主義の歴史観からすれば、皇位簒奪者の存在はあってはならない「負の歴史」である。その「負の歴史」は、国家公式の歴史観が天皇中心主義であった戦前において、どのように語られたのか。その研究は汗牛充棟であろうが、他の人の

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「肇国」と「建国」の相剋/『國體の本義』・中村直勝・上田又次

「肇国」と「建国」の相剋/『國體の本義』・中村直勝・上田又次



はじめに 戦時中、「肇国の精神」「肇国の大精神」という言葉が頻繁に使われた。意味はよくわからないが、何か深い意味がありそうで凄そうな言葉である。それがどんな「精神」なのかは、ここでは問わない。
 本稿で取り扱うのは、「肇国の精神」の「精神」ではなく、「肇国」の方である。
 そもそも、「肇国(ちょうこく)」とは「国をはじめる(肇める)」の意である。言葉の古典的典拠は『書経』(『尚書』)の「文王肇

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"英国護持"と"皇国護持"の距離/上田又次『エドモンド・バーク研究』

"英国護持"と"皇国護持"の距離/上田又次『エドモンド・バーク研究』

 同時代に起きたフランス革命を批判する論陣を張った英国の政治家・思想家エドマンド・バークは、「保守主義の父」と称され、日本では明治時代に受容された。明治には自由民権運動家に「バークを殺す」(植木枝盛「勃爾咢(ボルク)ヲ殺ス」)という論文を書かれたりもするが、本書はバークを「殺す」のではなく、「復活させる」意図で書かれた。

 東大西洋史学科出身の著者・上田又次の歴史観・革命観は、本書に序文を寄せた

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