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BGM conte vol.6 «We’re All Alone»

 同期会の二次会で、妻の命日になにをするのかと聞かれて、独り静かに過ごすさと答えた轡木だった。

 しかしじっさいは、独り静かに過ごすどころではなかった。三人の子どもたちは銘々の子らを、つまり孫たちを引き連れて前日から轡木の隠居先に押しかけ準備に取り掛かり、当日は昼過ぎから盛大に会食した。轡木の隠居先は海水浴場にほど近く、プール付きとはさすがにいかないが、広い庭もあった。そこに皆が集ってバーベキューをするのが習いで、それは賑やかだった。
 轡木夫妻には三人の子があった。一番上に男、下二人が女。いまどき珍しくいずれも多産の家となって、孫は気がつけばあわせて十人を数えていた。
 隠居先を海浜のこの斜陽の町に選んだのは、ほかならぬ妻だった。海が近ければ、夏は子どもたち家族も遊びに来やすいだろうと言って。広い家を所望したのも、息子娘らの家族が一堂に会しても事足りるようにという配慮からだった。正月でさえ家族が全員そろうなどついぞなかったのに、妻の一周忌から、子らは孫らを連れて命日には欠かさず海浜の家をおとなうようになった。命日はまた、妻の誕生日でもあった。
 夏に生まれ、夏に逝った人だった。

 おそらくこの同期会に顔を出すのもこれが最後になるだろうと、ほろ酔いの男たちの背中を自身も酔いのうちに眺めながら、轡木は思った。四十半ばで会社を辞めて独立した男をこの歳になるまで同期としてあつかい、忘れかけた時分にお声がかかるというのもありがたいには違いないが、こうした酒席はまたかつての同僚の訃報に接する機会ともなるし、必ずしも皆が充足した老後を送るとは限らない。先刻も、独り身を通した男が、いずれ身辺をきれいさっぱり整理したら、施設に世話になろうかと考えている、と自身の「終活」について語り、一座は妙にしんみりしてしまった。
 辛気臭さを払うつもりで河岸を変えたはずが、どうやら引きずるようで、それで連れの命日の過ごし方なんぞに話柄が向いた。一年で一番賑やかになる、二十人近くが家に集まって、とは轡木は言えなかった。特にこれといった娯楽もないと轡木の言うのへ、例の独身男が、スナック通いの効用について諄々と諭し始めていた。

「お父さん、汁物ばっかじゃ、血圧にいいことないから、生野菜も欠かさず食べてくださいね」
「お酒もいいけど、召し上がったら、お風呂は控えるように。入るにしても、お湯は39度以下だから」
 小さい時分からなにかと世話焼きだった娘たちは、母となってからいよいよ口うるさい。ハイ、ハイ、と生返事すれすれの応答をするが、反発は微塵もない。轡木は世話を焼かれるのが苦手なタチだが、娘からあれこれ指図されるのはこの上なく嬉しいのである。それは珍しいな、と同期会で誰かが言っていたのを思い出した。
 命日が過ぎれば、寂しさはまた格別である。じき海には水母がわいて、海水浴どころではなくなる。孫たちは皆海に親しみ、土の子のように黒くなって帰っていった。海を見晴らす窓辺のレースのカーテンに、子どもたちの仕業だろう、無数のセミの抜け殻がついていた。

 祭りの後の静けさこそは晩節である。その静けさと、寂しさとに見合う終幕であってほしいと轡木は願った。
 細君に死なれて寂しいだろう、と気遣われて、いかにも寂しいと答えはするものの、そんな寂しさのなかにも不思議な賑々しさがある。ふだんはそれと意識しないでも、耳を澄ませば必ず潮騒が耳に触れる。そんな環境にあるからかもしれない。こんなこと、間違っても口にされないが、寂しさのうちにも妻の存在は充足する。轡木にとって、亡き妻とは潮騒のように偏在する何かだった。
 子どもたちは、猫を飼ったらいいとこともなげに言う。一家が初めて猫を迎えた遠い昔が思い出される。三毛の保護猫で、痩猫で、食が細く、よく吐いた。貰い受けてしばらくはすぐに死んでしまうのではないかと気が気でなかったが、その後十年と生きた。子どもたちの成長とともにあり、家族史の背景そのものになっていた。
 猫が顔の横にでも眠るようになれば、猫のもたらす緩慢な時間感覚のなかで、いよいよ妻の偏在感は高まるだろう。同時に寂しさはその色を濃くする。それに耐え得るとは、轡木には思われなかった。祭りの後に似たこの静けさにおいて、あたかもすぐそこに妻が控えるように、愚にもつかないことをあれこれ独りごちている今がちょうどいいと感じられるのである。

 二階のベランダからは、水平線に没する陽を拝むことができる。キャンプ用の折り畳み椅子を引っ張り出してきて、それに腰掛け、夕陽を肴にウヰスキーのグラスを傾ける。
「これ以上ない贅沢じゃないか」
 思ったことを、声に出さずにはいられなくなっている。
「志保美が下の娘を市営の水泳教室に通わせたいから援助してほしいと。姉さんのところの初孫に君が援助したのをしっかり覚えているんだなぁ。姉さんばっか、ずるいずるいと、小さい頃からあいつはそればっかだった」
 かたわらの白塗りのローテーブルに置かれたウヰスキーのボトル。この頃ではもうウヰスキーはあまりやらないのだけれど、轡木の好きな銘柄を長男がよく覚えていて、年毎に今年はこれ、今年はこれ、と選んでくる。今年はボウモア12年。アイラ島だったか、スコットランドの海沿いに蒸留所があって、そのせいか、そこはかとなく潮の香りがする。
 これを轡木は、うる覚えの知識を披瀝して、潮の干満に乗じて樽の貯蔵庫に海水が出入りして、樽全体が海水に浸かることもあるなどと、嘘のロマンを語って聞かせた。これまた遠い昔のこと。妻はもとより感心して聞いていた。総じて妻は、夫の話でも子どもの話でも、それがどんなに他愛ない内容でも、居ずまい正して傾聴する人だった。
 海に夜の帷が下りようとしている。水平線はまだ赤い。巨大なコンテナ線が東から西へ、沖を移動していく。いずれ、漁火がぽつぽつと灯り出すだろう。凪が終わり、海のほうへと風が走り始める。

「そうか、君に正さずにしまった嘘が、少なからずあるわけなんだ」
 轡木は言った。

Outside the rain begins
And it may never end
So cry no more
On the shore a dream
Will take us out to sea
For ever more
For ever more

Close your eyes ami
And you can be with me
'Neath the waves
Through the caves of hours
Long forgotten now
We're all alone
We're all alone

Close the window
Calm the light
And it will be all right
No need to bother now
Let it out let it all begin
Learn how to pretend

Once a story's told
It can't help but grow old
Roses do lovers too so cast
Your seasons to the wind
And hold me dear
Oh hold me dear

Close the window
Calm the light
And it will be all right
No need to bother now
Let it out let it all begin
Throw it to the wind my love
Hold me dear
Throw it to the wind my love
We're all alone

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