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「ピタリとハマる」ソーシャルディスタンスを超える瞬間。

 こんにちは、フォレスト出版編集部の杉浦です。前回ご紹介した『マンハッタン・ミラクル!』の記事にコメントをいただき、ありがとうございます。「スキ」もたくさんいただいて、この世界観を好んでくださる方が多いのだなとうれしく思いました。今回も『マンハッタン・ミラクル!』から、香咲弥須子(かさきやすこ)さんがニューヨークで経験した、さりげないけど印象的で、きらりと光るような瞬間についてつづられたお話をご紹介します。


「ピタリとハマる」 
 
 ニューヨークに住み始めてすぐ、ニューヨークでは、誰もがしょっちゅうあちこちで自己紹介を繰り返しているということに気づきました。
 パーティに明け暮れているわけではありません。路上で、公園のベンチで、店先で、郵便局の列に並びながら、地下鉄で立ったまま……見知らぬ同士が何かのきっかけで話し始めるということが頻繁にあります。
 名前を教え合うわけではなくても、ほんのいっときの会話に、自分のライフスタイルや背景が透けて見えるようなものが混じります。

「なぜわたしがこの地下鉄のラインを一番よく利用するかというと、通勤のためではなくて、美術館によく行くからなのよ」
「籠の中の2ダースの生クリーム?今晩ホイップしてお菓子を作るの。毎週ボランティアしているホームレスのシェルターに持っていくため。お誕生日のおばあちゃんがいて、わたしの祖母と同い年になる人なの」

 こんな一言を発すれば、その人に向けて自分の心の窓を少し開けた感じがするし、その一言を耳にするなら、その人の心模様が垣間見える気がします。
 わたしは東京生まれ、東京育ちですが、そこにも、路上の人懐っこさはありました。海外のあちこちでも街中の会話を経験していましたが、ニューヨーカーのオープンさには、他の場所とは比べられないニューヨーク流アプローチがあるように感じています。
 ねえそこのあなた、夕陽が素敵よ、眺めてごらんなさいな、などと話しかけられることはありません。信号待ちの交差点で、

「あのクレーン、危なっかしいな。今はもっと新型の安全なのがあるのに。去年死んだ親父がクレーンを扱っていたからよくわかる。別の道を通ったほうがいいよ」

 などと聞こえてくるのがニューヨークです。
 たとえばマンハッタン島は東京都世田谷区より面積が小さく、そこに世界各国の人たちがひしめき合っています。見かけも考え方も文化の背景も違う人間が狭い場所で折り重なるようにして生きています。だから路上で見知らぬ人に発する言葉も、何というか、重層的なのです。
 たまたま隣に立っているわたしに、独り言ともつかないつぶやきを投げかける人は、

 クレーンのことならよく知っている。
 父親はクレーンを扱う仕事に従事していた。
 父親が去年死んだ。

 という人生告白をしていて、しかも、見知らぬこちらの安全を慮ってくれる優しい面を見せてくれています。

 ニューヨーカーは、まず一緒に夕陽を眺めて、感想を言い合って、それから……という具合にはならないのです。せっかちなのです。
 Eメールが普及し始めた時、世界中で一番熱狂して飛びついたのはニューヨーカーだったと聞いたことがあります。メールに、時候の挨拶など一切しないのもニューヨーク流です。悠長なことは願い下げなのです。
 今すぐすべてを、核心を伝えたい、理解して欲しい、グズグズしないで欲しい、という感覚が行き渡っているように思えます。

 最初から鍛えられました。えーと、わたしはあんまり英語が得意でないので……などと言っている場合ではありませんでした。セントラルパークの岩の上で日光浴をしながらルイス・ブニュエルを読んでいる女学生は、
「……そのくらいの英語が喋れるわけでしょう?」という顔でわたしの答えを待っています。
 どんな答えを?「あなたがブニュエルの映画が好きなわけは?」という彼女の問いに対する返答を。
 日本語でさえ、1日時間をください、と言い逃れたくなるような内容を、今ここで言いなさい!と要求されているわけです。乏しい手持ちの英単語の中で、あなたの思いを表現してみなさい、と。
 たぶん、しおり代わりに本にはさんであった何かのパンフレットが岩からすべり落ち、それをたまたま通りかかったわたしが拾って、岩の上に届けたというだけの“間柄”で、こんなレッスンをしてもらっているのです。

 あれから30年たった最近、近所の床屋のおじさんに「空の色で一番好きなのは?」と聞かれました。彼が店先に出て飛行機雲を見上げているところを通りかかり、こんにちは、と声をかけた時のことです。
 わたしはすかさず“Azure” と答えました。というより、考えるより前にそのように口にしていたのです。“Azure” とは、夏の空の色に近い色のことだと思いますが、それはどうでもいいことで、それよりも、わたしは、“Azure” と発音することを楽しんでいたのです。その音を発したかった、その音が好きだった、というだけです。
 小さなことですが、嬉しい発見でした。そうか、わたしは“Azure” が好きなのか、という発見ではなく、数日前のあの瞬間、九丁目の歩道で、床屋のトニーさんと並んで、そう口にしたかった自分がいて、そうしたかった通りに口にした、ということが、これ以上はありえない正しさで、ぴったりハマっていて、自分がいるべきところにいてなすべきことをしている、という感覚に包まれたのです。

 ハマっている感覚。

 それは、多種多様な姿で心に生まれる感覚のうちでも、最高のものに違いないと思っています。

 ハマったからと言って、何なの?……何でもありません。ただ単純に、それ自体が満ち足りた幸福感なのです。とはいえ、そのような瞬間には、おまけがつくことが多いのです。
 その時も、おまけは来ました。トニーが店の中に引っ込んで、「ホラッ」と持ってきてみせたのは、角のピンとしたポストカードの、紺碧の湖の写真でした。“Azure”と飾り文字がついています。ポーランドに住む母親からの便りだと言います。わたしには読めない言語ですが、「こんなしっかりした字を書けるなんて若い」と感想を伝えると、僕もそう思う、と嬉しそうです。同時に老いた母親への心配もうかがえます。
 トニーは、通りがかりの近所の知り合いに、空の色談義をしたかったわけではなかったのでしょう。彼の心にあったのは、祖国のお母さんのことだったのでしょう。または、トニーは気づいていなかったけれど、お母さんが彼を想って、彼の心のドアをノックしていたのかもしれません。

 いずれにしろ、口をついて出た“Azure” という一言は、わたしだけでなく、二人ともに、小さなシンクロニシティを経験させてくれました。
 出来事とは言えないほどの小さなことではあるけれど、大きな喜びです。
 このように何かピタッと“ハマる”経験を、わたしは無数に繰り返してきました。
 狭くて、生身の人間が折り重なるようにいて、皆せっかちで、重層的で、求めるものが大きいニューヨークが、最高の練習スタジオでした。どこでも人懐っこく話しかけられ、「そこにハマる」機会がたくさん与えられて来たからでした。
 ニューヨークは、受け取る準備さえできていれば、こんなインスピレーションがいくらでも降ってくる場所なのです。

「路上の人懐っこさ」「ピタリとハマる瞬間」……。ソーシャルディスタンスは残っても、これらは十分感じることができることだと思います。それらを受け取るゆとりがあれば。ウィズコロナ時代、いままで以上に意識的に“ゆとり”をつくりだしていく時代になるのではないでしょうか。

 今回ご紹介したお話を抜粋した香咲さんの書籍はこちら。「多くの人種が集まるメルテイングポットでのニューヨーカーたちが織りなす人間ドラマから、さまざまな光の部分をすくい上げ、著者もまた、自分の人生の中で見出す光とそれらを重ね合わせながら、そっと丁寧につづれ織りして紹介しているのがこの本です」(Amazonレビューより)。本書について、これぞ「ピタリとハマる」レビューをありがとうございます!

(Photo by Vlado Paunovic on Unsplash)






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