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なぜ女子大のトランスジェンダー受け入れが批判されるのか~“LGBTQ嫌い”の理由~

先日、お茶の水女子大学が、トランスジェンダーの入学受け入れを発表しました。それを聞いて、思わずガッツポーズをしてしまうくらい嬉しかった。

ですが、ニュースを見ていて、世間がそれに批判的なことに気が付きました。
たとえば、「嘘をついて入学する男性もいるかも」「トイレはどうするのか」という意見は、よく耳にしたものです。

私はレズビアンですが、同性愛に対する否定的な態度は今まで何度も経験してきました。
カミングアウトをしたら気まずくなってしまった、人格を否定されるような発言を聞いた、「プールで海パンを履きなよ」と言われた、などがあります(相手は冗談で言っているのですが…)。

そういった、同性愛者に対する偏見や嫌悪や拒絶や恐怖は、ホモフォビアと呼ばれます(フォビアphobiaは、英語で「~恐怖症」「~嫌い」という意味です)。
そして、トランスジェンダーに対するものは、トランスフォビアと呼ばれています。



今回のトランスジェンダー入学受け入れの件で、LGBTQに対する風当たりの強さを感じましたが、その風当たりが生まれてしまう理由は2つあると思っています。



① 社会がヘテロノーマティヴである
※ヘテロノーマティヴ=異性愛規範。ざっくり言うと、「普通は男女で恋愛するでしょ」という態度


② 「異性愛や、トランスジェンダーではない人が普通」という風潮に自分も合わせてしまう


まず1つ目ですが、どうしても社会に、トランスジェンダーではない人(シスジェンダーと呼ばれます)や異性愛を“普通”とみなす風潮があります。

たとえば、
・友達や目上の方に「彼氏いないの?」と聞かれる(男性であれば「彼女いないの?」でしょう)
・同性が好きだと話せない
・テレビで同性が好きな人のことを「オカマ」と紹介する
・ゲイバーが「面白いところ」のように扱われる
などがあります。

また、
・パートナーとの写真を他人に見せることができない
・パートナーの事故や緊急事態のときにすぐに連絡をもらえない
・パートナーとの別れ(死別も含めて)の際にそれを周囲に言えない
なども含まれます。

トランスジェンダーであることや、同性愛が何か、「特別なもの」「違うもの」として扱われてしまっているような気がします。
愛は愛で、そこに境界はないはずなのに。


2つ目の理由ですが、「異性愛や、トランスジェンダーではない人が普通」という風潮に自分を合わせてしまっています。
その風潮を内面化してしまっている、ということです。

「みんなと同じじゃないといけない」と思ってしまっているから、周りの『トランスジェンダーや同性愛は普通じゃない』に合わせて、自分もそう思うようになってしまう。
無意識のうちにです。

だから、偏見を持っていないつもりの人でも、知らず知らずのうちにトランスジェンダーや同性愛者に対して、なんとなーく嫌な気持ちや、抵抗感を抱いてしまうことがあるのです。
誰も「同性愛って普通じゃなくない?」という気持ちを持って生まれてはいません。
それは、育つ中で身に着いてしまったものです。


実際、お恥ずかしい話ですが、当事者の私の中にさえも、「異性と恋愛することが“正しい”」という考えが刷り込まれているのを感じます。
なんでこんなこと思っちゃうんだろう、思いたくないのに、と思っても無意識のうちに、頭のどこかに、その考えがある。
とても悲しいし、もしそれで誰かを傷つけてしまったらどうしよう、と恐ろしくなります。

本当に申し訳ないのですが、同性の方同士で手をつないでいるのを見て、とても嬉しくなった半面、同時に少しだけ「いやだ」「見たくない」と思ってしまったこともあります。
それに気がついたとき、愕然とし、悩みました。
「同性愛を差別するような人に絶対なりたくない」と思っているのに、自分も同じような気持ちを抱いている。

このように、当事者が、同性愛に対する抵抗感を感じることもあります。
その結果、自身に対して批判的な気持ちを抱いてしまったり、恋人になる可能性がある人と距離を測って自分を罰することがあるようです。

たしかに、私自身も、女性を好きになることを少し怖いと感じてしまう時期もありました。

おそらく、私が抱いてしまった、同性愛に対する「いやなきもち」は、自己嫌悪から来ていたのだと思います。
「異性愛が“普通”なのに自分はそうじゃない。じゃあ自分ってなんなの?」というように。


でも、「自分のせいじゃない」「同性が好きでも変わらず接してもらえる」と思えたら楽になり、その嫌な気持ちを感じなくなりました。

留学していた頃、同じく同性愛者だったクラスメイトに、「実は同性愛に対して少し嫌な気持ちを持っていることを感じていて…。こんな風に思ってしまうのは普通なのかなあ。多分自己嫌悪なんだけど…。」と、思い切って話してみたことがあります。
正直、責められるかもしれないと思いました。

だけど、「普通だと思う。自己嫌悪しちゃダメだよ。そういう社会の中で育ってしまったからしょうがない。自身を教育すればいいんだよ」と言ってもらえたんです。
それですごく楽になった。



女子大のトランスジェンダー受け入れについて、批判的とまでいかなくても、あまりいい反応を示せない方は多いのではと思います。
その理由は、社会が、トランスジェンダーでない人(シスジェンダーと呼ばれます)や、男女の恋愛を「普通」としてしまっているからです。
そしてその風潮に巻き込まれてしまっている。

あなたのせいではありません。
だけれど、「もしかしたら自分にも偏見の気持ちがあったかも」「自分は、トランスジェンダーの方や、同性を愛する方を受け入れるよ」という態度は持っていただきたいのです。

身体と心の性が一致しないことや、恋愛対象が同性であることは、いわゆる“普通”とされる人との違いを生みません。
同じ人間です。
「スポーツが得意・苦手」「背が高い・低い」「納豆を食べられる・食べられない」などと同じように、その人を構成する要素のうちの、たったひとつです。

どうか、批判的な態度はとらないでいただきたいのです。
それがもし難しかったとしたら、せめて、せめてでも、その態度が当事者には伝わらないように。
どうかお願いします。

参考文献:
1. Kantor, M. (2009). Homophobia: the state of sexual bigotry today. Westport, Conn. : Praeger.
2. Lincoln, Caesar (2015). Homophobia: The ultimate guide for how to overcome homophobic thoughts forever.
3. Killermann, S. (2012, January 2). 30+ Examples of Heterosexual Privilege in the US. Retrieved from http://itspronouncedmetrosexual.com/2012/01/29-examples-of-heterosexual-privilege/
4. Nelson, K. (2015, July). What Is Heteronormativity – And How Does It Apply to Your Feminism? Here Are 4 Examples. Retrieved from https://everydayfeminism.com/2015/07/what-is-heteronormativity/

読んでくださり、ありがとうございます。 このnoteを読むことで、セクシャルマイノリティについて少し知っていただけたり、何か生きるヒントのようなものを見つけていただけたら、幸いです。