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教育がまなざしの自由を奪わぬように

「まなざしの革命」を出版してそろそろ四ヶ月を迎える。おそらく周りの人は一通り読んでくれているだろうし、それぞれ感じるところがあると思う。だが今回の本は前著を評価してくれた読者には全く響いていないだろうことも同時に見えてくる。前著以上に見たくない、聞きたくない話ばかり書いてあるからだ。

だがこんな時代だからこそ響く人々はどこかに必ず居るはずだ。SNSのようなフィルターバブルの場で叫んでも無駄な努力かもしれないが、響くはずの人々に届ける努力はしばらく続けてみようと思う。粛々とすべきことをすれば、きっと想いある人は立ち上がるだろう。あとはタイミングの問題だけだ。静かにひろまり気がつけば多くの人の見方が変わっていることになるのだろうか。

先日も高校の教科書の副読本を作っている某出版社から「まなざしの革命」の一節を「大学共通テスト演習」の現代文で使いたいという依頼があった。前著「まなざしのデザイン」は大学から中学までの入試問題や試験問題にたくさん使われたようだが、今回は出版して4ヶ月経たないのにもうオファーが来た。

教育に携わる人々の方がきっと閉塞感を感じているのだろう。知識や情報よりも見方の方が重要だと気づき始めているのだ。未だに多くの人は情報を欲しがる。もちろん情報を書くことも出来るが、所詮情報など情報に過ぎない。情報が変われば正解が変わるようなものは本質的ではないのだ。だから情報よりも情報の見方が重要だし、「見方の見方」が重要だ。だが自分の見方は問題なくて外の情報が重要だと思う態度は、なんと愚かなことだろうかと思う。自分の見方が自由だというのは大きな錯覚だ。

先日の中高の先生たちと行った「まなざしの革命の教室」の映像。全く視聴率は上がらないのだが、気にせずにしつこくシェアする。おそらくSNS側のキーワードの問題もあり表示が上がらないようになっていると思われ、タイトルを変えてみた。

本の中から大切だと思うメッセージを抜き出して中高の社会科の先生に伝えた。映像をご覧になり、大事だと思えば是非シェア頂きたいし、本書「まなざしの革命」の方もぜひお読み頂ければと思う。Facebookのようなフィルターバブルでは届く人に限界があるが、きっと想いある人々の声が集まり革命が起こっていくはずだ。

「まなざしの革命」の教室
1限目 革命は教室から起こる

2限目 戦争はいつも同じプロセスを辿る

3限目その1 戦争の裏側には複雑な力学がある


3限目その2 我々は自由を得たことなど一度もない

3限目その3 誰も助けてくれない時代を生きる

4限目 高校教師たちの革命

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