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白い猫と妻の失踪14、香穂 その日に起こったこと 2019

 夫は、ある日突然亡くなってしまった。あまりにも突然のことで、夫がもうこの世界に存在していないということが、あまり良く理解できなかった。夫が亡くなったその日、私はただじっとしていた。大きな病気もなかったし、昨日まで元気だったので、私はさっぱり意味がわからなかった。
 夫が死んだ?本当に?と、ただ呆然としていた。突然の血栓だかの発作で亡くなるというケースは結構多いのだそうだ。

 数日の間うまく理解できないまま、泣くこともできなかった。ほとんど記憶がないのでよくわからないけれど、最低限の身だしなみを整えたりする行動は、無意識にしていたらしい。あとで確認したところ、人とそれなりに話もしていたらしかった。葬儀も何とか無事に執り行ったし、周りの人たちからは、割と落ち着いているように見えたかもしれない。

 でも私の頭は、あまりの衝撃的な出来事に、全くついていくことができずにいた。突然大きな穴が開いてしまったようで、とにかく、時間が必要だった。

 この家はもともと夫が祖父と祖母から受け継いだ家だ。何度か改装と改修を繰り返し、大正時代からある日本家屋を夫が蘇らせた。新築の家を購入するより、実は費用がかかったかもしれない。古い文化を大切にしたいという二人の考えで、少しづつ日本家屋と日本庭園は美しく整えられ、二人共とても気に入って暮らした。ある意味ではこの家が私たち二人の関係を育てたと、言っても過言ではないかもしれない。

 夫婦といっても、当然それぞれに人格がある。それぞれに違う個性、好み、価値観や感情がある。実は共通点というのは、さほど多くない。最初は似た者同士で、気が合うと思っていても、数年も一緒に暮らしていると、だんだん違いがはっきりと分かるようになる。でも意外なことに、本人たちは違いを意識するようになっているのに、外から見ると「あなたたち夫婦は、時が経つほどに、どんどん似てきたわね。顔つきも話し方も、雰囲気もそっくりよ。」と言われることが増えていく。同じ家に住み、同じものを食べて、一緒に暮らしていると、何となく外側が似てくるのかもしれない。

 それでも、本人たちにとっては、内面や好みの違いが際立って見えてくる。矛盾するようだけれど、こんなに違うのか。ということがわかることで、かえって自分の好みを知ることができて、自分を理解しているのかもしれない。

 夫婦というのは、常に連動している。どちらかが調子が悪いと、相手も何かしら調子を崩す。例えば、どちらかが仕事がとてもうまくいっていて、精神的にも安定して何もかもがうまくいっている時は、やはり相手も調子がいい。どちらかに、大きな気づきや進歩があると、相手も何かしらの進歩を遂げている。エネルギーの問題として。

 それが、夫婦の面白くもあり、危険でもあるところだろうと思う。何かしらどちらかのマイナス面が強調され始めると、それが例え家庭とは別の分野だとしても、やはり近くにいる人は大きな影響を受けるものだ。ましてや、夫婦なら尚更に。

  何かしら悪い方に回り始めた時にこそ、自分や相手を責め始めると、実は何も解決していかない。ただ別の良いところがあるからまあいいか。また、状況も気持ちも良い方向に変わるだろうから、今の時点では休もう。という、ゆとりさえあれば、嫌なところは自然にだんだん小さくなり、消えてしまう。

 一軒家には、ある意味で性格の違いや欠点を、そっと包み込んでくれるようなところがある。家庭とはよく言ったもので、家と庭があることで、私たちはいつも、社会から守られ、落ち着いて静かな独立国家を築いて生きているようなところがある。
お互いを尊重し、大切にする。自分のことも相手のことも理解しようと努める。わからないことは、とりあえず保留する。言葉では理解できないことも、なんとなく家が、庭がその気持ちを受け止めてくれるように、お互いがお互いをふんわりとクッションのように受け止めるスペースを物理的にも、精神的にも持つことができた。
そして夫婦の関係も家も、年月とともにどんどん変化し続ける。

家の骨組みがしっかりしていればしているほどに、古い家には味が出て、どんどん落ち着いた、静謐な空間が生まれる。時間が刻まれることで、家は生き物として進化を遂げる。

 人はいつか死ぬ。それは、頭ではわかっている。でも昨日まで、病気でもなんでもなかった夫が、ある日突然消えていなくなるなんて、そんな不公平なことがあっていいだろうか。と、そのことにある意味で腹が立っていた。

 心配して軽い睡眠薬を医者がくれたけれど、薬を飲んでも、あまり眠れなかった。それでも翌日になると太陽が昇って朝が来た。
手続きなど毎日やることがたくさんあったし、仕事もある。お手伝いさんも含め、毎日誰かしら人が家に出入りしていた。

 一人きりになって、寝室にいるのは、何よりも辛かった。たったの数日前まで、隣には、19歳で初めて出会った日から毎日夫が側にいた。友人も親戚も泊まりに来るように言ってくれたけれど、この家を離れたくないという気持ちが強かった。周りの人たちも家庭や仕事で忙しいのに迷惑をかけたくなかったし。第一、好きな時に好きなだけ泣ける場所が欲しかった。一人になるのは辛かったけれど、この家にいたかった。この家は、私たち二人を育ててくれた場所なのだから、今度は私一人の人格をなんとか正常に保つ術をきっと教えてくれるに違いない。そんな風に思いながら、この家に留まった。

 朝になると私は「大丈夫。夫は今、離れの書斎で仕事をしているだけ。」と声に出して行ってみた。幸い太陽の光が私に味方してくれた。
起き上がって、台所に向かうと、コーヒーの香りがした。きっと、お手伝いさんが淹れてくれたのだろう。しばらくお手伝いさんに来てもらうのも断ったのだけれど。

 私を心配した古くから家のことをしてくれていた女性が、
「奥様を一人きりにするのは、あまりにも心配です。お家のお掃除とお料理だけでもお手伝いさせていただけませんか。お給料はいりませんから。」と言ってくれた。

「ありがとう。お給料は同じように振り込んでおきます。先のことはまた考えましょう。」と、答えた。

 彼女は早朝に来て部屋の掃除を済ませ、2日分の料理を用意してくれていたようだった。

「朝からおいしい焼きたてのクロワッサンを買ってきました。奥様の好物のお店のものですよ。少しでも食べていただかないと、私が旦那様に叱られますから。また、夕方に様子を見に来て、洗濯と掃除、ベッドメイクさせていただきます。」という書き置きが、丁寧な文字で書かれ置いてあった。

 有名店のクロワッサンと、彼女の手作りのジャム、エシレのバターが添えてテーブルに乗っていた。コーヒーは熱と香りが飛ばないよう、ポットに入れられている。
冷蔵庫には、いつものヨーグルトとカットフルーツが美しいガラスの器に入れられて、ラップをかけてある。なんと、優秀で優しい人だろう。

 食欲はなかったけれど、彼女の優しさに感謝して、朝食を食べてみる気持ちになった。最初は、こんな状態で食べられるものかしらと、手をつけたのだけれど。意外なことに、朝日の中で美味しいクロワッサンを食べ始めたら、お腹が空いていたことに初めて気がついて、少しづつ食べることができた。フルーツとヨーグルトまで全て平らげた頃には、少しだけ元気が出てきた。
生きている人には、エネルギーが必要だ。そのエネルギーは、こうして愛情と手をかけてくれる人からもらうのだろう。

 日本家屋には、独特の雰囲気があった日本庭園には、鹿おどしがあり、定期的に、竹が石を打つ音がする。

 私は、自分を奮い立たせて、とにかくシャワーを浴びて、髪を乾かし、髪を結い、メイクを整えてからいつものように着物を着た。
この人生最大の悲しみの中で、自分を保つためには、何がなんでも、いつもと同じように、美しく家を保ち、身なりをきちんとしておこう。と、思ったのだ。

 そして、しばらくの間、手続き関係の書類を整理したりして過ごしていた後、とにかく、日課である11時の抹茶を用意しよう。と、思い立った。そして、30年以上続けてきた、日課である、茶道のお点前を茶室に入って、一人静かに行った。

 お茶を淹れ終わって、背筋を伸ばし、目の前にある夫用の座布団の前に、抹茶を置いた。お茶を点てている間は、不思議と、悲しみと息もできないような苦しみから、少しだけ解き放たれるような感覚があった。
茶道を続けてきてよかった。ずっと茶道を続けることを勧めてくれた夫に感謝した。

 茶道というのは、毎日、同じ動きをひたすらしなければならない。幸い、天気が良くても悪くても、多少具合が悪くても、毎朝同じ時間に抹茶を淹れてきた私の体が、御手前を覚えていて勝手に進めてくれた。

 着物は、夫が一番好きだった柄のものを選んだ。夫と静かに会話をしたい。という思いから自然に手が伸びて選んでいた。返事をしてくれないのは、仕方がない。でも、私には夫がまだこの家にいるような雰囲気が感じられた。

 パジャマのような格好で泣きながらウロウロしているより、夫がいつ見ても喜ぶ服装でいた方が、ずっといい。夫の茶碗をじっと眺めながら、しばらくは泣いていたけれど。気を取り直して、自分の分の抹茶を点てた。いつもと同じように、庭の方を眺めて、二人で会話をしているように、抹茶を飲み始めた。

「あなた、今日もいいお天気よ。ほら見て、富士山の山頂が綺麗に見えていますよ。」
と、一人で夫に向かって話しかけた。
時間の感覚がなかった。しばらく目を閉じてそのまま座っていた。

しばらくすると、不思議な暖かさを感じた。まるで本当に夫が横にいるような感触だった。
「ああ、いい天気だ。」と、夫の声が聞こえた。

そこには、座布団の上に、いつものように座ってお茶を飲んでいる、夫の姿があった。
こんな風にして、私はしばらくの間、本当はもういないはずの夫と一緒に暮らした。それは、私にとってかけがえのない、素晴らしい時間になった。

 「神様も随分、粋なことをするものだなー。作品の事が心残りだと言ったら、少しだけ時間をくれたんだ。僕らはなんてラッキーなんだ。」と、夫本人は、のんきそのもので、私はなんだか落ち込んでいるのが馬鹿馬鹿しくなってしまうほどだった。

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