カオスから見つめ続ける
魔窟のような店を見つけた。
時々、どうしようもなく遠くに行きたくなる。それも、本当に何もないようなところに。衝動にまかせて東京から電車を乗り継ぎ、この小さな街までたどり着いた。ちょうど一年前にも来た場所だから、地理はわかるはず。そうタカをくくっていたのが悪かった。冬にしては暖かい天気が嬉しかったのかもしれない。こっちかな〜なんて想像とも記憶とも言えないようなカンを頼りに歩いていたら、いつの間にか知らない路地に迷い込んでしまった。
路地にあるその店は、無視して通り過ぎるには少々刺激が強かった。というか、目に入らないようにすることが難しい。長屋のような作りのあめ色の古い建物の外に堂々と大きな机が置いてあり、普段着にできそうな着物やら、年季の入ったフランス人形やら、不思議な形のカゴや壺やらが無造作に並べられている。カゴの中を覗くと、これまた味のあるキーホルダーやらピアスやらがびっしり。そのうちの1つが冬の太陽に反射して誘うようにきらっと光り、思わず目を奪われた。
「いらっしゃい!どうぞ、中に入っていって」
アクセサリーに引き込まれていた私は、ふっと我に返った。朗らかな女性の声がするが、声の主が見当たらない。開け放たれたドアの中を覗くと、薄暗いランプの光がゆらゆらゆれ、部屋の中を照らしていた。かろうじて、奥のほうでやせた初老の女性が人懐こそうな笑みを浮かべ、ひらひらと手を振っているのが見える。この人がここの店主だろう。そして、それと同時に見える範囲すべてに溢れかえる物、物、物。入ってと言われても、どこを歩いたらいいのか分からない。声の主は、それ以上私にかまうつもりはなかったようだ。ひとこと歓迎の言葉をかけると、また自分の仕事に戻ってしまった。
アンティークには興味がない。それに、ここにある品物はアンティークというより古くさい、時代遅れといった言葉が似合う気がする。まるでおばあちゃんのクローゼットを覗いているような気分だ。だが、足の踏み場もないくらいにごちゃごちゃしたディスプレイの仕方は気に入った。アラジンの洞窟の日本版といったところか。それとも、さっそく都会の雑踏が恋しくなってしまったのかもしれない。すでに懐かしく感じる渋谷のスクランブル交差点を思い浮かべる。早足で行き交う人々。ギラギラとしたネオンサイン。ごうっと音を立てて走り去る山手線。周りのものに自分が置き去りにされていくような感覚を思い出し、何だか親近感を覚えた。
吸い込まれるようにして入った店内は、店先の机に負けずにごちゃごちゃしていた。どう考えてもスペースが足りていない。電車で言ったら乗車率120パーセント。まるで東京の電車のようだ。あ、せっかく東京を離れたのに思い出しちゃってる、と複雑な気持ちになりながら、何となく目の前の机の上に放り出されていた雑誌を手に取った。発行年、昭和28年。西暦に直したら戦後すぐだ。そんな貴重な資料を出しっぱなしにしていていいのだろうか。値札はついていない。どうやら売り物ではないようだ。雑誌をそっともとに戻し、隣のアクセサリーケースの上に置いてある、手のひらサイズの小さな櫛に目を向けた。これにはちゃんと値札がついている。8000円。8000円!?思わず凝視してしまった。
「お姉さん、お目が高いねぇ。その櫛はいいやつだよ。」
振り返ると、さっきの女性が嬉しそうに近寄ってきた。
「その櫛はね、明治時代の娘さんが使っていた櫛だよ。本物のべっ甲でできてるから、高級品だね。」
べっ甲の櫛がいいものであることは知っているが、そこまで櫛にこだわりはないので正直ほしいとは思わない。だが、きっとこの櫛は素敵なお嬢さんに使われていたに違いない。100年くらい前のハイカラな女学生が目に浮かぶ。きれいな袴を着て、毎晩この櫛で慈しんだつやつやの黒髪は彼女の人生さえも愛で包んだであろう。手元の櫛をじっと見つめると、櫛も私を見つめ返しているような気がした。
「それからこっちの食器はね、旧家の蔵から出てきたんだ。」
女性のあとについて店の奥へ入っていった私は、大量の食器の山を目にした。平皿、長皿、豆皿から、お椀、お茶碗、湯のみ、そしてお膳で出すようなセットの食器まで、よりどりみどりだ。色や柄も、漆塗りのものから深い赤や金を使ったペルシャ絨毯風の複雑なデザインのもの、無地で素材の味を活かした形のものまで様々だ。
「どう?気に入ったものがあるなら、少し安くするよ。若い人に使ってもらいたいから。」
そう言って女性は、愛おしいものを見るように目を細め、ぐるっと店の中を見わたした。お世辞にも整理整頓されたとは言いがたい店内。商品はカテゴリー分けなんてされてないから、お目当てのものがあるとしたらとても探しにくいだろう。しかし、そうやって無造作に並べられているからこそ、一秒ごとに新しい発見ができる。まさに、「掘り出し物」の宝庫だ。
アンティークには興味がない、と言っていた私だが、結局3つも買い物をしてしまった。お下げの女の子のイラストがプリントされた昭和のアルミ製の弁当箱、大正浪漫の香りがする香水瓶、そして冬の光が反射した赤いガラスの指輪だ。あの時、店主の女性が大切なものを見るような眼差しで店を眺めているのを見て、アンティークとはただの過ぎ去りし日々の忘れ物なんかじゃない、時とともに人の心が込められたものなんだ、と感じた。よく見ると、商品になっている物たちはカゴに放り込まれるようにして店先に並んでいるとはいえ、そのどれもが元の持ち主に大切にされてきた鈍い輝きを放っている。古きよき文明開化や大正浪漫の時代を駆け抜け、先の大戦の戦火を生き延びて持ち主を転々とし、あるいは長い間1人の人間に愛用され、このカオスで次の持ち主を見つけてもらう。持ち主の魂が込められたそれは、大量生産されたプラスチック製品には到底叶うことのできない味と記憶を持っている。持ち主が変われば、思い出を保持したまま新しい記憶も刻み込まれる。過去にしがみついたままでもない。新しさに飛びつくわけでもない。共存を選ぶことのできた小物たちは、時の流れとともに魅力を更新し続けて、後世まで人々の生き様をひっそりと見守り続けるのだろう。