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人は誰しも世の中の事象に対して自分なりの受け止め方とか、考えとか、思いとかあるわけで、…

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人は誰しも世の中の事象に対して自分なりの受け止め方とか、考えとか、思いとかあるわけで、をかしおもしろしと幼い頃から今に到るまで日々感じていることを、思いつくままに綴ってみたいと思う。アタマをほぐしてくれるご意見いただけるとうれしーです!

マガジン

  • Cycle Cultural Studies

    循環すること、繋がっていくこと、利他とは究極の利己であるという幸福の原理に繋がっていく話ができたらいーなぁー

  • #CHOOSECYCLING

    都市交通の中で自転車を選択するということ 日本における社会的な問題や課題について意見を綴るとともに、自然な暮らしの在り方と経済的利益のバランスは相反する部分が多い中で、自転車を選択することを通じて可能性を探っていきたい。

最近の記事

知の集積地 - サイクリングプラン 3

建築家でもなく、研究者でもなく、熱烈なマニアでもない、ただのサイクリストが建築史を辿り語るなど烏滸がましいにも程があるのは承知の上で、形振り構わず語らせてもらった。 本郷キャンパスへは春日門からお邪魔した。入ってすぐにダイワユビキタス学術研究館 があり、いかにも隈研吾らしい建築が目に飛び込んでくる。 ユビキタスという世界の実現はどこまで現実的で持続可能なのか?世界の優れた頭脳がそのような未来へ向けて邁進している一方で、サイクリングでのほほんと楽しみを享受することの気楽さっ

    • 暁のち日昇 - サイクリングプラン 2

      日本にはグローバルな観点から時代の大変革期と捉えられるターニングポイントがいくつかある。 古くは仏教が公伝した古墳時代後期などもあるが、今回は江戸から東京になった明治の大変革期と、戦後復興から高度経済成長へと向かう時期、各国との国交正常化に伴うモダニズムの影響がエンジニアリングにおけるフォーカスポイントになると考えた。しかし、それ以前の江戸時代の名残も必要だ。 ライドのスタートは桜田門。江戸時代の建造物であり、幕末を象徴する場所の一つでもある日本情緒全開のスポットを暁とし

      • 始めたら始まる - サイクリングプラン 1

        サイクリングをディレクションした。久しぶりだった。 今回は BROMPTON JAPAN からのオファーで、場所は東京、JCMの就任、CEOの来日に合わせ、ユーザーとの交流の機会を設けるという内容だった。 人と何かをするということが久しぶりだったが、社会復帰の予兆な感じもする。できるかどうかなど考える間もなく、始めたら始まった。この感覚も久しぶりだ。 コミュニケーションの軸となるのは何か、考え始めた。 BROMPTONはロンドンで生まれ、世界で100万台を売ってきた。

        • 自分を分析したというか、されたというか

          MBTIというのを2回やってみた。 INFPというアルファベットの配列でパーソナル診断の結果が示された。 4月より、9月の方がクセが強くなっている!? 内向的で直感に従う、道理的な気質で、戦術は探索型、アイデンティティは慎重と出ている。これらの傾向は完璧ではないにしても全て当てはまっており、さらにこの 6ヶ月ほどでそれぞれの要素は強まった。一つだけ、気質の道理的要素は下がり、対比される論理的が3%上がった。 自分を知ることは本当に難しい。このような診断を使ってみること

        知の集積地 - サイクリングプラン 3

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        • Cycle Cultural Studies
          10本
        • #CHOOSECYCLING
          8本

        記事

          わたしのページを捲るのは、わたし

          確かにそうだ。… しかし … なんだかよくわからない世界を、わたしはこうだと言って生きていくことは、誰にでもできることではない。という現実の中にいる。 無限に情報が有りふれた世界で、理路整然と相対的にわたし自身を捉えることなど至難の技である。一方で、直感的にわたし自身を捉えることも、今の現状を考えればできていないだろう。 人に言わせれば、強い意志があるように見えたり、拘りが強く見えたりもするようだが、「これは違う」ということはあるのでそう見えるかもしれない。逆にわたしは

          わたしのページを捲るのは、わたし

          どう受け止める?

          Etape14 の勝敗を分けたのは、そこにいた観客たちであった。 最後の超級山岳のクライマックス。ポガチャルがアタックして、ビンゲゴーは少し遅れをとりながらも同じペースを刻んでいた。2人の力は完全に拮抗している。その後ビンゲゴーがポガチャルに追いつき、そしてポガチャルの前に位置どり様子を伺っていた。この時ビンゲゴーが何を考えているのか分からなかった。スプリントのパンチ力で言えばポガチャルに軍配が上がると認識していたし、ビンゲゴーは自ら不利な状況に身を置いているようにしか見え

          どう受け止める?

          終わり、始まり、繋がり、巡るなにか

          仕事を辞め、時間がある内に回れるところは回っておきたいと思っていたが、3月の後半に少し旅をすることができた。 ちょっと振り返りながら、最近の出来事を綴りたいと思う。 この短い期間の間になにが起こっていたかと思い返すと、さまざまな事が同時に起きていて、今の私自身ここから学ぶことが多くある。 その後、私は地域を巡る『RAPHA CARAVAN』を立ち上げた。根底にあるのは『RIDE FOR KUMAMOTO』での体験であり、ラファを通じたサイクリストの繋がりを広げ、地域の魅

          終わり、始まり、繋がり、巡るなにか

          徐行ってなんだ?

          いつもの道で、いつもと違う出来事 一方通行の生活道路。広いとは言えない道。 私は自転車に乗って、一方通行と逆方向で走っていて、右側にはベビーカーを押しているお母さんが歩いている。そこに前から一台の車が近づいいてきている。 この三者はタイミングがバッチリ合って、横に重なり合うような状況となった。 道幅は、三者が横に安全な距離を保って行き違えるほどの余裕はない。三者分のスペースはあるにはあるが、かなりタイトになるし安全とは言えない。 さて、この状況で車のドライバーだった

          徐行ってなんだ?

          東京の村、自然と暮らしを守る。

          檜原村?キャンプをしたり、登山をしたり、トレイルランニングやサイクリング、モーターサイクルでツーリンング、車でドライブなどなど、自然を求めて山や川、海へ行く人は激増している。 自然と戯れてストレスを発散させることは、グローバルに人気が高まってきていたところに、コロナ禍がそれ等をさらに促進させた。マインドフルネスやメンタルヘルスを意識して美しい自然の中へ身を置く。 あるいはモノが溢れた時代に、体験への価値が見直されるとともに人生における掛け買いのないものへの投資が盛んになっ

          東京の村、自然と暮らしを守る。

          取りもどせないを取りにいく

          窓から陽光が射し込んでくると眩しいが、晴れやかで気持ちが良い。突然暗くなったりもするが、今は電車に乗って西へ西へと向かっている。 友が愛した町、そして彼が人生の幕を閉じた尾道へ。奈良生まれの彼は大人になってからは東京でファッション系の仕事をしていたが、造船に携わるため2016年に尾道へ移住した。 ちょうど同じ年に私は、ラファのPOPUPを尾道でやる事になって、尾道を中心とした瀬戸内のサイクリストが集まるライドを開催した。 そこに参加してくれたのが彼であった。当時はまだ付

          取りもどせないを取りにいく

          はなげでてますよ

          「はなげでてますよ」って、誰かに言ったことありますか? ちなみに私はある。しかも、自分の上司に言ったことがある。 だってそれは、その人のためじゃん。 でも、なんかおかしいな。 20年前にメッセンジャーをやっていた頃は、一日中車の合間を縫って走りまくっていたので鼻毛が伸びる伸びる。全身排気ガスやら埃やらで薄汚く汚れていたものだし、実際に鼻毛が伸びるスピードは早かった。環境汚染というのはちゃんと人間の体にもダイレクトに反映されていると、身体を張って実証済みというわけだ。

          はなげでてますよ

          無常と無情

          そのときがいつなのかは誰にもわからない。いつでも今でもなのだ。楽しい時もあれば悲しい時もある。常に移り変わる世界。人は遥か昔からその本質を理解して生きてきた。 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす おごれる人も久しからず 唯春の夜の夢のごとし たけき者も遂にはほろびぬ 偏に風の前の塵に同じ  鐘の音は鳴り響いた瞬間から絶えず変化して、そして消える。 花はよく女性に例えられるが、生まれてから美しく生き、そして帰っていく。 平

          無常と無情

          価値

          生まれてくるものにはプラスの価値を乗せる。 子供が産まれる。 食物を生み出す。 衣類を生産する。 家を造る。 一方、消えゆくものへの価値は見出されない。 死んでいくもの。 食べないもの。 着ない衣服。 使われなくなった建物、公共物。 本来、自然の循環の中ではこれらの対比される要素は一つのものであり、循環しているものである。人はこれらを区別して価値の優劣をつけてしまった。 さらには、モノが溢れて生活に困らないようになると、付加価値なるものまで出てきてしまって、ただでさ

          狂っちまった。

          とんでもない時代だ... 東京消防庁の統計で2021年に寄せられた苦情の中で”救急車両のサイレンがうるさい”系のものが402件あったという記事を読んだ。 いきなり笑ってしまったのだが、そのうちの190件は同一人物であると... おいおいほぼ半分じゃねーか(笑)数は1だけどボリュームがでかいねー!サイレンどころの騒音じゃないよ。 2017〜19年は同様のクレームが100件ほど、20年は142件、21年には402件となっているが、190件分を1とカウントしたら213件といず

          狂っちまった。

          永遠のモラトリアム

          大人になる瞬間っていつなんだろう、、、 生まれてきた瞬間から世界は出来上がっていて、自分が疑問に思うこともルールだからと言って従うような教育がなされて、そんな不条理な社会に馴染んでいる人に対して疑問を抱くようになると、大人や公人は信用できない存在となった。 父は多くを語らない。世の中の不条理に納得して生きていないという印象であるが、でもよくよく考えてみると仕事は公務員だった。口数少なかったのは、自分の考えと行動が一致していないという自己矛盾を孕んでいたからかもしれない。

          永遠のモラトリアム

          冬の情緒

          雪が降ってる。しかも積もってる。 私が住んでいるところではなかなかない。 だから新鮮。ワクワクするのと、滑るじゃん!っていう面倒な心持ちと半分。 今は夜。 ガラス越しに舞い散る雪が見える、街灯の灯りが反射してキラキラしている。 こう言った情景を、心に染み入る感覚で見ていられるのは、日本的情緒なのだろうか。 感じたことをことばで遊んでみると、より情緒は深まるのだろうか。 「白雪に当たる灯りの玉吹雪き 凍える娑婆の光りとなりけり」 どうだ?っぽくないか? 雪が二重

          冬の情緒