徐行ってなんだ?

いつもの道で、いつもと違う出来事

一方通行の生活道路。広いとは言えない道。

私は自転車に乗って、一方通行と逆方向で走っていて、右側にはベビーカーを押しているお母さんが歩いている。そこに前から一台の車が近づいいてきている。

この三者はタイミングがバッチリ合って、横に重なり合うような状況となった。

道幅は、三者が横に安全な距離を保って行き違えるほどの余裕はない。三者分のスペースはあるにはあるが、かなりタイトになるし安全とは言えない。

さて、この状況で車のドライバーだったら、どのような判断をするだろうか?

それぞれの行動はそれぞれの立場において決まってくると思うが、日本の交通リテラシーの低さ(ヒエラルキーの歪み)を、実体験として得た。トラブルだ。

この時、ドライバーはスピードは抑えていたけれど止まらずに、真ん中を抜けようと進んできた。私も止まらずに左に寄ってやり過ごそうとした。歩いていたお母さんは車の向こう側にいた。

お〜なかなか攻めるなぁ・・・と思った矢先に、車のサイドミラーと私の右腕は接触した。大事に至ることはなく、ややこしいトラブルに発展するとこともなかったのだが、ドライバーに最初に言われた一言は、

「気をつけろよ。危ねーよ。」であった。ある意味予想通りで、ある種期待を裏切られたというか、希望を打ち砕くものでもあった。(期待する根拠はないし、勝手な希望を抱いているだけ)

このとき、私に非がなかったのかというと、いくらばかしは避けられたこともあっただろう。しかし、それ以上に気を付けなければならないのは車のドライバーである。

まず、彼の最初の発言に反省がなかったことに心底凹まされる。事故対応あるあるで “先に謝ったほうが不利になる” みたいなことがあって、本当にくだらないし人としてどうかしてるし何も良い事ない。(完全にグチ)

しかし、彼の言動は全て彼の責任であるとは考えていない。彼に限らず多くの人は、社会に形成された何となく共有されている行動パターンに沿っているのであって、「根拠のない社会通念」に行動をコントロールされている。

つまり世の中の常識と思われるものが歪んでいたとしても、それに疑問を抱くことはないし、それらの思考は正しいものとして連鎖するという事だ。日本の公教育の賜物だろう。

最終的にはお互いに気をつけましょうってことで解散したのだけれど、こちらが「世の中の常識が歪んでいる」という認識を持っているから逆上することも抑えられるけど、彼の最初の一言は喧嘩を売っているようなもので、トラブルを誘発する発言だ。

そんなものはエネルギーの無駄、時間の無駄でしかない。

このようなトラブルはなかなか起こることではないのだけれど、常にこういった危険性は潜んでいると戒めた。まぁ済んだことは良いとして、このことで考えたことが一つある。

「徐行」ってなんだ?

徐行の定義
道路交通法第二条:車両等が直ちに停止することができるような速度で進行することをいう。

ふむ。

この定義であれば「徐行」という一言で危険回避の行動を説明するには足りていないような気がして、考え始めてしまったので記しておくことにする。

まず、「徐」を調べてみると意味としては「動作が静かでゆっくりしている様子。」や「のんびりとしてゆとりがある。急でない。おもむろ。しずか。ゆっくりと。」と出てくる。

これを見てちょっと意外だと感じた。というのも「序章」とか「序曲」という「序」と音が同じなので、「何かが始まる前」という印象を持っていたからだ。(勝手な印象です)

つまり、その行動の先に何かがあることを予想していつでも止まれる準備をするということを「徐行」の意味としてイメージを繋げて捉えていたのだけど、漢字が違っていた。(いっこ学んだw)

しかし、いずれにしても行動の原理としては間違っていないと思っている。

目の前に起こりうるトラブルの可能性があって、その確率を下げる行動を取りましょうということであって、そのために取るべき行動は可能性の対象によって定められるというわけだ。

先に述べた状況においては、まず歩行者が最優先であり、その次に優先されるのは自転車に乗っている人である。法律に準じるのであれば、車のドライバーはこの二者を優先する行動を取らなければならないし、本来はモラル的な観点からも、交通ヒエラルキー的な観点からも同様である。

この時に「徐行する」という言葉ではどこか足りていないというか的確でない。彼はゆっくり走っていたとは思うけど止まらなかったし、十分な減速かというとそうでもなかった気がする。徐行と言えるのかどうか分からない。

狭い生活道路で上記のようなトラブルを避けるためには、一旦止まって3秒も待てば三者の位置関係は全く違う状況になるわけで、安全な走行空間を確保できる。

「車両等が直ちに停止することができるような速度で進行すること」というのは最終的に「進行すること」を示していて、そうではなくて停止することができるよう「停止」をナッジすべきじゃね?

交通ヒエラルキーに準じた行動を促すには徐行ではなく「序止」とでも言った方が的確なのではないか?

つまり、止まる準備をしてくださいということだ。「ゆっくり行く」と「止まる準備をする」では、まったく意味が異なる。これらをうまく使い分けると、行動に対する意味付けがより明確にできる。

危険回避の状況では「序止」こそが求められる。

行動を示す表現として良いと思うんだけどなぁ しかし最終的にはどうでもいいというか、そんなものは意味を持たない社会というのが実態だろう。

世の中のスピードが早くなり〜 みたいな事も耳タコでうんざりなんだけど、そういった社会に行動が影響されるのは必然なのかもしれないけど、けどけど、そのスピードに乗っからないといけないという事もないし、止まれる心の余裕を持ちたい。

自分自身も止まってやり過ごせるようなマインドを持っているかというと、止まらなかった事でトラブったわけである。言動の一致のハードルの高さったら半端ないね。


#cycleculturalstudies






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