狂っちまった。

とんでもない時代だ...

東京消防庁の統計で2021年に寄せられた苦情の中で”救急車両のサイレンがうるさい”系のものが402件あったという記事を読んだ。

いきなり笑ってしまったのだが、そのうちの190件は同一人物であると... おいおいほぼ半分じゃねーか(笑)数は1だけどボリュームがでかいねー!サイレンどころの騒音じゃないよ。

2017〜19年は同様のクレームが100件ほど、20年は142件、21年には402件となっているが、190件分を1とカウントしたら213件といずれにしても急増している。コロナ禍になってから増えたのか、原因はわからないとされているが、興味深い。

理由はさまざまだし、確かにうるさいと思うけど、仕方ないとスルーするのが常なわけで、クレームを出すというのはよっぽどだと思うわけである。

病院の近くに住んでいるという人。それはもう仕方がないだろう。救急車が往来する病院なんて大きな病院がほとんどで昔っからそこにあるでしょう。クレームなんてお門違いだろう。どなたか存じ上げませんが、代々継がれた家がそこにあるのならば仕方ないけど、そうであればそんな環境には慣れてるだろうし、たまたまそこに家を構えたのだったらそれは選択ミスでしょう。引っ越せば?

ちょっと話は違うけど、以前高校野球時の部活の掛け声がうるさいと学校にクレームを言ってきた輩がいたらしく、そこの野球部の球児たちは掛け声を出せなくなってしまったそうだ。イヤイヤそれはあかんやろ!高校が球児を守ってやれよ!学校なんてのも昔っからそこにあって、野球なんてものは国技と言われるくらいポピュラーになって、夢を持った球児たちが日々練習に励んでいるのだよ。これからもその文化は大切にされて、野球は多くの人々の心の支えとして文化形成していくのだよ。クレームを出したやつはお前が引っ越せよ。

と、思うわけである。

うちの近くにはインターナショナルスクールがあるらしく、子供の鳴き声やみんなで歌う声が毎日聞こえてくる。うるさいと思う時もあるけど、クレームなんて言おうとも思わない。それはそれで受け入れるべきことだと思うからだ。

視野を広く持ちたい。自分が今ここでパチパチ文を書いているときにも、数十億人の人生が同時進行しているのだから。

世界は回っている。私は世界の一部であり、私自身の世界は私を中心に回っているけど、私は私という存在を世界との相対的な視座で認識しているわけだから、結局のところ切り離すことなんてできないわけだ。

世の中狂っちまってるね。

狂っちまった世の中なんてインターネットの時代になってから、そこらじゅうで炎上騒ぎで盛り上げっているのだけど、ほとんどは一部の少数の声なのであって、ただボリュームがでかいだけ。ただ目立っているだけ。

ほとんどの問題視されている事象は大したことではない。

ことの原因の本質は音にあるのではなく、その人が心に問題を抱えているのだろう。きっと心が寂しいのだと思う。愛を求めているのだと思う。切なくてやりきれないね。

それを外に向けてしまうのはお門違いであり、誰もそんなものは受け止められない。

人の話を聞くことは大事だけど、雑音は気にせず各々が正しいと思う道を行くのだ!

それでよいのだ!

そんなことを思いながら、自分が置かれた状況を考えてみると、我々の声は小さい。サイクリストから社会に向けて発する声とは?

いろいろある。とにかくたくさんある、良いことも悪いこともある。

一つだけ言えることは、狂っちまった世の中にサイクリングはおすすめよ。

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