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暁のち日昇 - サイクリングプラン 2

日本にはグローバルな観点から時代の大変革期と捉えられるターニングポイントがいくつかある。

古くは仏教が公伝した古墳時代後期などもあるが、今回は江戸から東京になった明治の大変革期と、戦後復興から高度経済成長へと向かう時期、各国との国交正常化に伴うモダニズムの影響がエンジニアリングにおけるフォーカスポイントになると考えた。しかし、それ以前の江戸時代の名残も必要だ。

ライドのスタートは桜田門。江戸時代の建造物であり、幕末を象徴する場所の一つでもある日本情緒全開のスポットを暁とした。

外桜田門は1644年に建てられ、現在の門は1663年に再建されたもの。皇居外苑の中に位置しており、朝早くからランナーや観光客が行き交う。国の重要文化財でありながら、いつでも開かれていることが素晴らしい。©︎fixy55

桜田門と聞けば東京に暮らす人にとっては馴染みがあるかもしれないが、桜田門外ノ変が真っ先に浮かび上がってくる。この事件が起きたのは 1860年(安政7年)で、井伊直弼を襲撃したのは水戸藩の脱藩者17名と薩摩藩士1名(一橋派)と言われる。

1853年(嘉永6年)のペリー来航による日米修好通商条約の締結問題と、御家の未来を大きく左右する将軍継嗣問題。2つの大きな問題を抱えながら派閥争いも激化し大混乱を極めた中で、答えのない答えを導き出す立場にあった者の運命だったのかもしれない。

人知れず明治へと移り変わる門を出たところで、得も言われぬ美しい陽光が注ぐ。©︎fixy55

早朝 6:30 スタート …  早すぎる…

朝早すぎじゃね?と愚痴っていたし、ウィルにも愚痴られたし、なんなら朝早いのを私のせいにもされたが、スッキリしない気だるさは正面から差す陽光で吹き飛んだ。

朝の日差しが眩しく美しい。神々しいとさえ思える光は、桜田門を潜りぬける私たちに当てられたスポットライト宛らである。

いよいよ始まった小さな旅へのワクワク感で精神が高揚する、さらにカフェでの朝食が待っていると想像するだけで嬉しくて幸福感に包まれた。

太陽は偉大だ。時代を繋いで東京の街を旅する。ちょっとしたサイクリングツアーの始まりだ。

ウィルに会えて朝からテンションぶち上がりの参加者の皆さん、神々しい朝日を浴びてさらに輝いて見える。©︎fixy55

明治となった日本は世界との急速な交わりと共に、都市部や農地、山間部、治水、租税に至るまで全ての構造が大きく変えられていった。

近代産業の当時の最先端技術を積極的に取り入れるために、多くの知識人を西洋諸国から招致した。大学校を作り、医療や社会インフラなど、多くのことを爆速で西洋から学び、国を再構築した。

令和の時代から見れば江戸時代の都市構造や循環経済は素晴らしいと思えて、残念なことをしたなぁ… なんて取り留めないことを考えたりもするが、当時の時代背景を考えれば何も言えることはない。清のようにはなるまいと、西洋列強に支配されないよう必死に踠いた大変革期だったのだ。

そんな中で、建築に関わる工学分野においては、ジョサイア・コンドル の存在は外せない。

ジョサイア・コンドルの像 東京大学 工学部前広場 ©︎fixy55

だれ? 建築を志す者は当然知っているだろうが、一般的に知る人はあまりいないだろう。それでこそ、此度のライドで知る機会となれば意義がある。

ロンドンのケニントン生まれで、1877年(明治10年)に来日し、工部大学校(現・東京大学工学部)の造家学(建築学)教師として西洋建築学を日本に齎した。

明治創成期の日本人建築家を数多く育成し、近代日本建築の基礎を築いた。 教え子たちは日本人の多くが知る歴史的建築を設計しているので、調べてみると繋がりが見えてくる。手始めに辰野金吾をググってみると良いだろう。

ジョサイア・コンドル 自身も、当時の上野博物館や鹿鳴館、有栖川宮邸、岩崎邸、三菱1号館、三井倶楽部、ニコライ堂、古河邸など数多くの建築物を設計した。

明治創成期はエンジニアリングの大変革期と捉えて良いと思うが、UKと日本が交わった歴史的な出来事というわけである。私はこのことをウィルにも参加者にも知ってほしかった。

それらの情報をまとめて知れる場所がある。工学部の発祥の地、東京大学本郷キャンパスである。

ということで、桜田門を出発したBROMPTON LOVER たちは、東京大学本郷キャンパスを目指したのであった。

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